東城丸
東城丸(とうじょうまる)は大連汽船(現・NSユナイテッド海運)が所有・運航していたタンカー。太平洋戦争末期の南号作戦に参加し、無事に生還して終戦を迎えた。しかし、状態の悪さから防波堤として転用されて船歴を終え、商業航海には一度も就くことはなかった。
基本情報 | |
---|---|
船籍 | 大日本帝国 |
所有者 | 大連汽船 |
運用者 | 大連汽船 |
建造所 | 播磨造船所 |
母港 |
大連港/大連市 東京港/東京都 |
姉妹船 | 2TL型戦時標準タンカー32隻 |
航行区域 | 遠洋 |
信号符字 | JVUG[1] |
IMO番号 | 關906→57990(※船舶番号)[1] |
建造期間 | 130日 |
就航期間 | 982日 |
経歴 | |
起工 | 1944年9月8日[2] |
進水 | 1944年12月6日[2] |
竣工 | 1945年1月15日[2] |
除籍 | 1947年9月23日[1] |
その後 |
1948年に八戸港の防波堤として沈設 1967年撤去 |
要目 | |
総トン数 | 10,045 トン[3] |
載貨重量 | 17,651 トン[3] |
全長 | 148.00 m[3] |
型幅 | 20.4 m[3] |
型深さ | 12.00 m[3] |
ボイラー | 改21号水管缶 2基 |
主機関 | 甲50型1号蒸気タービン機関 1基[3][4][5] |
推進器 | 1軸[3] |
最大出力 | 5,000SHP[3] |
定格出力 | 4,000SHP[4] |
最大速力 | 15.376ノット[2] |
航海速力 | 13ノット[4] |
航続距離 | 13ノットで9,000海里 |
概要
編集太平洋戦争での戦時標準船の一つである2TL型の1隻として播磨造船所で建造され、1945年(昭和20年)1月15日に竣工した。建造日数は129日で、内訳は起工から進水までの日数が89日、艤装工事日数が40日である[6]。
竣工後は船舶運営会使用船として徴用され、ヒ91船団に加わって1月26日に門司を出港し、昭南(シンガポール)に向かう[7]。船団は出港2日後の1月28日未明にアメリカ潜水艦「スペードフィッシュ」 (USS Spadefish, SS-411) の攻撃により特設運送船「讃岐丸」(日本郵船、9,246トン)と海防艦「久米」を失うが、「東城丸」はタンカー「永洋丸」(日本油槽船、8,673トン)とともに大陸沿岸、海南島、インドシナ半島沿岸に沿って南下を続け、2月8日に昭南に到着した[8]。昭南で航空ガソリン16,000トン、重油1,285トンなどを搭載し、ヒ92船団に加わって2月18日午後に昭南を出港して日本に向かった[9]。
しかし、出港して2時間半後に触雷して気缶を損傷[10]。応急修理の上航海を続けた[11]。2月22日に同航のタンカー「第二建川丸」(川崎汽船、10,045トン)が触雷沈没し、2月25日にはアメリカ潜水艦「ホー」 (USS Hoe, SS-258) の雷撃で海防艦「昭南」を失うが、「東城丸」は単独で楡林に向かって、同地で機関整備を行う[11]。その後は対潜掃討を終えた第25号海防艦とともに大陸沿いを北上し、汕頭、舟山群島、釜山港外を経て3月11日に門司に帰還した[11]。搭載物資を下津港で陸揚げののち、生まれ故郷の播磨造船所に回航され、触雷による損傷の修理を行ったが、その最中に終戦を迎えた[12]。
戦争が終わり、親会社の南満州鉄道は閉鎖機関に指定され、大連汽船は閉鎖機関には指定されなかったが、経営が難しくなった[13]。このため、1947年(昭和22年)3月8日に第二会社として東邦海運が設立され、所有船舶など資産一切が引き継がれた[14]。GHQの日本商船管理局(en:Shipping Control Authority for the Japanese Merchant Marine, SCAJAP)によりSCAJAP-X064の管理番号を与えられた「東城丸」も東邦海運に移籍したが[1][15]、損傷の修理もままならずいつしか放置されており、同年9月23日に廃船となった[1]。連合国軍最高司令官総司令部の接収[16]あるいは運輸省による購入[12]を経て、八戸港整備の一環として防波堤として活用されることとなった[16]。
「東城丸」は、同型船で戦後竣工も運輸省に売却された「富島丸」(三菱汽船)[17]と「
同型船
編集- あかね丸(石原汽船)
- 天栄丸(日東汽船)
- 仁栄丸(日東汽船)
- 東邦丸(二代)(飯野海運)
- 太栄丸(日東汽船)
- 光栄丸(日東汽船)
- はりま丸(石原汽船)
- せりあ丸(三菱汽船/日本油槽船)(南号作戦成功)
- ありた丸(石原汽船)
- 富士山丸(二代)(飯野海運)(南号作戦成功)
- 大邦丸(飯野海運)
- あまと丸(石原汽船)
- さばん丸(三菱汽船/乾汽船)[26]
- 海邦丸(飯野海運)
- 宗像丸(昭和タンカー)
- 玉栄丸(日東汽船/日本水産)
- 松島丸(日本海洋漁業)
- 極運丸(極洋捕鯨)
- 明石丸(西大洋漁業)
- 光島丸(三菱汽船)(南号作戦成功)
- 第二建川丸(川崎汽船)
- 瑞雲丸(岡田商船)(特TL型)[19]
- 山汐丸(山下汽船)(特TL型)
- 雄洋丸(浅野物産/森田汽船)
- 勝邦丸(飯野海運)
- 忠栄丸(日東汽船)
- 千曲丸(日本郵船)
- 富島丸(三菱汽船)(戦後竣工も運輸省に売却、沈船防波堤となる)
- 大杉丸(大阪商船)(戦後竣工も運輸省に売却、沈船防波堤となる)
- 千種丸(日本郵船/大洋漁業)(特TL型・戦後竣工)
- 第三八紘丸(共同企業)(未成)
- 大櫻丸(未成)
- 未命名(未成)[27]
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e “東城丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月27日閲覧。
- ^ a b c d #播磨造船所50年史pp.464-465
- ^ a b c d e f g h #松井(1)
- ^ a b c “戦時標準型油槽船TL型”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月27日閲覧。
- ^ #大内pp.90-91
- ^ #松井(1)pp.172-173
- ^ #駒宮p.340
- ^ #駒宮p.341
- ^ #駒宮pp.349-350
- ^ #駒宮p.349
- ^ a b c #駒宮p.350
- ^ a b #松井(1)p.175
- ^ #松井(2)p.294
- ^ #松井(2)p.299
- ^ #松井(2)p.305
- ^ a b c #八戸港湾
- ^ “富島丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月27日閲覧。
- ^ “大杉丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月27日閲覧。
- ^ a b #松井(1)pp.170-171
- ^ a b c d #小松
- ^ #八戸市
- ^ “八戸市・八戸港白銀埠頭、午前10時”. 被災地の神社・寺院へ行こう。. 神宮威一郎. 2012年6月11日閲覧。
- ^ “2TL型”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月27日閲覧。
- ^ #松井(1)pp.168-171
- ^ #松井(1)pp.168-171
- ^ “B.V.船級への入級工事船12隻”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年10月27日閲覧。
- ^ “三菱長崎第979番船”. 大日本帝国海軍特設艦船データベース. 2023年10月27日閲覧。
参考文献
編集- 播磨造船所(編)『播磨造船所50年史』播磨造船所、1960年。
- 財団法人海上労働協会(編)『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6。
- 海防艦顕彰会(編)『海防艦戦記』海防艦顕彰会/原書房、1982年。
- 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9。
- 松井邦夫『日本・油槽船列伝』成山堂書店、1995年。ISBN 4-425-31271-6。
- 松井邦夫『日本商船・船名考』海文堂出版、2006年。ISBN 4-303-12330-7。
- 大内建二『戦時標準船入門』光人社NF文庫、2010年。ISBN 978-4-7698-2648-4。
関連項目
編集外部リンク
編集- “八戸港沈船防波堤の出来る迄(I)” (PDF). 土木学会誌. 小松雅彦(運輸省港湾局建設課技官) (1949年). 2012年6月11日閲覧。
- “八戸港沈船防波堤の出来る迄(II)” (PDF). 土木学会誌. 小松雅彦(運輸省港湾局建設課技官) (1950年). 2012年6月11日閲覧。
- “1/700戦時輸送船模型集・東城丸”. Rosebury Yard. 岩重多四郎. 2012年6月11日閲覧。
- “学習コーナー 応急方法だった沈船防波堤”. 八戸港湾・空港整備事務所. 国土交通省 東北地方整備局. 2012年6月11日閲覧。
- “八戸港の歴史”. 八戸市 産業振興・誘致. 八戸市. 2012年6月11日閲覧。