神祇院
神祇院(じんぎいん)は、かつてあった日本の国家機関のひとつ。内務省の外局。
神祇院 | |
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日本語: 神祇院 | |
組織の概要 | |
設立年月日 | 1940年11月9日 |
継承前組織 |
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解散年月日 | 1946年1月31日 |
継承後組織 | |
本部所在地 | 東京市麹町区霞ヶ関1-2 |
行政官 | |
上位組織 | 内務省 |
主な文書 |
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昭和初期の神祇官興復運動、神祇特別官衙設置運動[1]を受けて、1940年(昭和15年)の皇紀2600年記念に際して設置された。敬神思想の普及に努めたが特に目立った成果をあげないまま、敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)からの神道指令を受けて、1946年(昭和21年)1月31日限りで廃止された[2]。
神祇院の設置
編集神祇院官制(昭和15年勅令第736号)により、1940年(昭和15年)11月9日、内務省神社局が昇格し、同省の外局として設置される。所在地は東京市麹町区霞ヶ関一丁目二番地(内務省庁舎)[3]。
総裁は内務大臣が兼務する[4]ものと定められ、初代総裁には安井英二内務大臣が就任。副総裁には、飯沼一省神社局長が就任し、廃止までその任に当たった。
総裁官房及び総務局、政務局が置かれ、神宮に関する事項、官国幣社以下神社に関する事項、神官および神職に関する事項、敬神思想の普及に関する事項を掌る[5]こととされた。
神道指令と神祇院の廃止
編集1945年(昭和20年)12月15日にGHQが政府に対して発した覚書「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(SCAPIN-448)を受け、神祇院は廃止されることとなり、行政整理実施ノ為ニスル内務省官制中改正等ノ件(昭和21年勅令第59号)により、1946年(昭和21年)1月31日限りで神祇院官制は廃止された。
1946年2月2日公布、同日施行の「「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件ニ基ク宗教法人令中(昭和21年勅令第71号)附則第2項の規定により、神社明細表記載の神社及び靖国神社は、宗教法人とみなされ、旧官国幣社の一部を除きほとんどの神社は、皇典講究所、大日本神祇会、神宮奉斎会によって2月3日に設立された宗教法人神社本庁と被包括関係となった[要出典]。
参照
編集参考文献
編集- 国立国会図書館 デジタルコレクション 神社祭式行事作法 内務省神祇院教務局祭務課編集 昭和17年 書誌ID 000000664653 P15 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040190/1
- 国立国会図書館 デジタルコレクション 告示 / 内務省 / 第76号 / 神社祭式行事作法 明治40年 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950545
- 国立国会図書館 デジタルコレクション 神社局時代を語る 神祇院教務局調査課 昭和17年 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1057614
- 国立国会図書館 デジタルコレクション 神社本義 神祇院編集 昭和19年 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040153
- 国立国会図書館 デジタルコレクション 神奈川県内政部 / 神社祭式行事作法解説 昭和18年 P21 22 23 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097500