神原村 (三重県)
日本の三重県度会郡にあった村
(磯部町山原から転送)
神原村(かみはらむら)は、かつて三重県度会郡に存在していた村である。
かみはらむら 神原村 | |
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廃止日 | 1955年2月11日 |
廃止理由 |
西部:新設合併 東部:編入合併 神原村西部・五ヶ所町・穂原村・南海村・宿田曽村→南勢町 神原村東部・磯部村・的矢村→磯部町 |
現在の自治体 |
西部:南伊勢町 東部:志摩市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東海地方、近畿地方 |
都道府県 | 三重県 |
郡 | 度会郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 26.79 km2 |
総人口 |
2,136人 (昭和30年国勢調査[1]、1955年10月1日) |
隣接自治体 |
度会郡五ヶ所町、宿田曽村 志摩郡磯部村、浜島町 |
神原村役場 | |
所在地 | 三重県度会郡神原村大字神津佐1038番地 |
座標 | 北緯34度20分36秒 東経136度43分43秒 / 北緯34.34331度 東経136.72872度座標: 北緯34度20分36秒 東経136度43分43秒 / 北緯34.34331度 東経136.72872度 |
特記事項 |
分村合併実施 人口は 西部:1147人、東部:989人 面積は 西部:18.89 km2、東部:7.9 km2 |
ウィキプロジェクト |
1955年(昭和30年)に分村合併して西部は度会郡南勢町、東部は志摩郡磯部町(いずれも当時の自治体)となったことにより消滅した。一般にはかんばらむらと呼ばれた[2]。
地理
編集旧村域は、「水境」(みずざかえ)と呼ばれる分水嶺で東西に分割され、それぞれ別の生活圏を有していた。西部は現在の度会郡南伊勢町、東部は志摩市になっている。
西神原
編集西神原(にしかんばら)は神原村の西部であり、現在は単に神原と呼ばれることもある。神原村の第一学区を形成した。五ヶ所湾に面しており、沿岸部に集落が形成されている。現在は度会郡南伊勢町に属する以下の4つの大字に相当する。
- 泉(いずみ)
- 木谷(きだに)
- 神津佐(こんさ)
- 下津浦(しもつうら)
東神原
編集東神原(ひがしかんばら)は神原村の東部であり、域内の小学校の名称である成基(せいき)と呼ばれることが多い[3]。神原村の第二学区を形成した。西神原とは対照的に内陸の農村的な景観を呈する。現在は志摩市に属する以下の3つの大字に相当する。
歴史
編集村名の由来
編集『神原村誌』によると、合併前の7区の中で中心的な役割を果たしていた神津佐村の「神」と山原村の「原」を取って「神原」となった(合成地名)。
沿革
編集行政
編集村役場は西神原の神津佐に置かれた[5]。
歴代村長
編集○は東神原出身者[6]。
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重点政策
編集産業
編集伝統的に第一次産業が中心である。
交通
編集- 国道
- 三重県道
- 三重県道16号南勢磯部線:村を東西に結んだ幹線道路。1899年(明治32年)、神津佐街道として開通。
教育
編集第一学区と第二学区に分かれており、前者が西部、後者が東部であった。現存する学校はない。
小学校
編集- 神原村立啓発小学校 - 西部。神原村大字神津佐513。
- 神原村立成基小学校 - 東部。神原村大字山原字夏草792。
中学校
編集- 神原村立神原中学校(本校) - 西部。神原村大字神津佐513(啓発小に併設)。1948年(昭和23年)7月9日廃校。
- 神原中学校成基分校 - 東部。神原村大字山原字夏草792(成基小に併設)。1948年(昭和23年)7月9日廃校。
出身著名人
編集脚注
編集参考文献
編集- 磯部郷土史刊行会 編『磯部郷土史』磯部郷土史刊行会、1963年
- 磯部町史編纂委員会 編『磯部町史 上巻』磯部町、1997年
- 南勢町誌編さん委員会 編『南勢町誌』南勢町、1985年
- 南勢町誌編纂委員会 編『改訂増補 南勢町誌(上巻)』南勢町、2004年