磯波 (初代神風型駆逐艦)
初代神風型駆逐艦
磯波(いそなみ)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、神風型駆逐艦 (初代)の31番艦である。同名艦に吹雪型駆逐艦(特I型)の「磯波」があるため、こちらは「磯波 (初代)」や「磯波I」などと表記される。
艦歴 | |
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計画 | 1906年度[1] |
起工 | 1908年1月15日[1] |
進水 | 1908年11月21日[1] |
就役 | 1909年4月2日[1] |
その後 | 1912年8月28日三等駆逐艦[1] 1924年12月1日掃海艇編入[1] 1928年8月1日第七号掃海艇 (初代) と改名[1] 1930年6月1日雑役船編入、曳船兼交通船指定、公称第756号と改名[1] |
除籍 | 1930年6月1日[1] |
廃船 | 1935年4月9日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:381t 満載:450t |
全長 | 69.2メートル |
全幅 | 6.6メートル |
吃水 | 1.8メートル |
機関 | レシプロエンジン2基2軸、6,000hp |
最大速力 | 29ノット |
航続距離 | 11ノット/850カイリ |
乗員 | 70人 |
兵装 | 80mm(40口径)単装砲 2門 80mm(28口径)単装砲 4門 450mm魚雷発射管 2門 |
艦歴
編集1907年(明治40年)7月9日、命名(製造番号、第31号駆逐艦)[2]。1908年(明治41年)1月15日、舞鶴海軍工廠で起工[3]。同年11月21日、進水[3]。同年12月11日、駆逐艦に類別[4]。1909年(明治42年)4月2日、竣工[3]。
第一次世界大戦では、青島の戦いに参加[1]。シベリア出兵時には沿海州の沿岸警備を行った[1]。
1924年(大正13年)12月1日、掃海艇籍に編入[5][6]。
1928年(昭和3年)8月1日、第43号駆逐艦が吹雪型駆逐艦「磯波」と改名される[7][8]。これにより「掃海艇 磯波」は第七号掃海艇に改称[9][10][11]。1930年(昭和5年)6月1日、除籍[12]。雑役船に編入。曳船兼交通船(公称第756号)に改称。1935年(昭和10年)4月9日、廃船。呉海軍工廠の浮桟橋となった[1]。
艦長
編集※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 駆逐艦長
- 園田繁喜 大尉:1909年3月7日 - 1910年2月16日 *兼舞鶴海軍工廠艤装員
- (兼)児玉兼三郎 大尉:1910年2月16日 - 1910年12月1日
- 小川正冬 大尉:1910年12月1日 - 1912年11月13日
- 池中健一 大尉:1912年11月13日 - 1913年4月1日
- 藤田許太郎 少佐:1913年4月1日 - 不詳
- 角恒吉 大尉:不詳 - 1915年4月1日[13]
- 猪原薫一 大尉:1915年4月1日[13] - 1916年12月1日
- (兼)斎藤直彦 大尉:1916年12月1日 - 1917年3月1日
- 松田鹿三 大尉:1917年3月1日 - 1917年12月1日[14]
- 渡辺彝治 大尉:1917年12月1日[14] - 1919年12月1日[15]
- (兼)吉田庸光 大尉:1919年12月1日 - 1920年12月1日
- 後藤鉄五郎 大尉:1920年12月1日[16] - 1922年12月10日[17]
- 金子豊吉 大尉:1922年12月10日 - 1923年11月10日
- 高間完 大尉:1923年11月10日 - 1924年12月1日
- 掃海艇長
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本海軍史』第7巻、294-295頁。
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.206『◎驅逐艦浦波磯波綾波命名ノ件 明治四十年七月九日(達七九)舞鶴海軍工廠ニ於テ建造ノ驅逐艦三隻ニ左ノ通命名ス 第三十號驅逐艦 浦波ウラナミ 第三十一號驅逐艦 磯波イソナミ 第三十二號驅逐艦 綾波アヤナミ』
- ^ a b c #海軍制度沿革(巻11、1940)p.567『磯波|掃海艇|(要目略)|〃(舞鶴工廠)|41-1-15|41-11-21|42-4-2|(武装略)』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.55『明治四十一年十二月十一日(達一五五)艦艇類別等級別表中驅逐艦ノ欄内「浦波」ノ次ニ「磯波」ヲ加フ』
- ^ #達大正13年12月p.1『達第百三十七號 艦艇類別等級表中左ノ通改正ス 大正十三年十二月一日 海軍大臣 財部彪|軍艦ノ欄内「水雷母艦」ヲ潜水母艦ニ改ム|驅逐艦三等ノ欄内「有明、吹雪、潮、初霜、神風、彌生、子日、如月、朝風、夕暮、若葉、春風、追風、初雪、時雨、夕立、響、初春、疾風、夕凪、卯月、水無月、長月、菊月、浦波、磯波、綾波」ヲ削ル|掃海艇ノ欄内「第六號」ノ次ニ「夕立、夕暮、神風、初霜、如月、響、浦波、磯波、水無月、長月、菊月、綾波、潮、子日、朝風、若葉、春風、初雪」ヲ加フ|水雷艇ノ欄ヲ削ル|備考第三號ヲ左ノ通改ム 掃海艇ヲ呼稱スルニハ「掃海艇何」ヲ以テス但シ番号ヲ附スルモノハ「第一號掃海艇」「第二號掃海艇」等ト稱ス 備考第四號ヲ削リ第五號ヲ第四號トス』
- ^ #除籍駆逐艦(2)pp.23-25『舊磯波(千噸以下)大正一三.一二.一掃海艇籍ニ入ル第七號掃海艇ノ部参照(略)(大正一三.一二.一驅逐艦磯波第七號掃海艇トナル)』
- ^ #艦艇・駆逐艦(1)pp.2-3『驅逐艦改稱新舊名稱對照表』
- ^ #達昭和3年6月pp.7-10『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|第四十四號驅逐艦 ヲ 驅逐艦 浦波ウラナミ トス』
- ^ #海軍制度沿革(巻8、1940)p.66『昭和三年六月二十日(内令一六〇)艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 本令ハ昭和三年八月一日ヨリ施行ス 驅逐艦ノ部中「第一號型」、「第十九號型」及「第三十五號型」ノ各項ヲ左ノ如ク改ム |神風型|神風、朝風、春風、松風、旗風、追風、朝凪、夕凪/睦月型|睦月、如月、彌生、卯月、皐月、水無月、文月、長月、菊月、三日月、望月、夕月/吹雪型|吹雪、白雪、初雪、深雪、叢雲、東雲、薄雲、白雲、磯波、浦波、綾波| 同部中「第二號型」ノ項ヲ左ノ如ク改ム |若竹型|若竹、呉竹、早苗、早蕨、朝顔、夕顔、芙蓉、刈萱| 掃海艇ノ部中「浦波型」ノ項ヲ左ノ如ク改ム |第七號型|第七號、第八號、第九號、第十號、第十一號、第十二號| 備考第二號中但書ヲ削リ第四號ヲ左ノ如ク改ム 四 掃海艇ヲ稱呼スルニハ「第何號掃海艇」ヲ以テス 同五號中「「第三十五號型驅逐艦」、」ヲ削ル
- ^ #達昭和3年6月pp.7-10『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|掃海艇 浦波 ヲ 第八號掃海艇 トス』
- ^ #達昭和3年6月pp.7-10『達第八十號 驅逐艦及掃海艇中左ノ通改名ス 本達ハ昭和三年八月一日ヨリ之ヲ施行ス 昭和三年六月二十日 海軍大臣 岡田啓介|掃海艇 磯波 ヲ 第七號掃海艇 トス』
- ^ #除籍掃海艇p.2『第七號掃海艇(千噸以下)驅逐艦磯波大正一三.一二.一掃海艇籍ニ入ル舊磯波ノ部参照(略)昭和五.六.一除籍』
- ^ a b 「海軍辞令公報 大正4年4月」 アジア歴史資料センター Ref.C13072071100
- ^ a b 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
- ^ 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
- ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
- ^ 『官報』第3109号、大正11年12月11日。
- ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ 『官報』第4258号、大正15年11月2日。
- ^ 『官報』第637号、昭和4年2月15日。
- ^ a b 『官報』第830号、昭和4年10月4日。
- ^ 『官報』第916号、昭和5年1月21日。
参考文献
編集- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻8(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886716』海軍大臣官房、1940年。
- 海軍大臣官房『海軍制度沿革. 巻11(1940年印刷) info:ndljp/pid/1886713』海軍大臣官房、1940年。
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正13年達完/12月』。Ref.C12070084200。
- 『昭和3年達完/6月』。Ref.C12070089800。
- 『艦艇/駆逐艦(1) 恩給叙勲年加算調査 上巻 参考法例 在籍艦艇 昭和9年12月31日』。Ref.C14010003300。
- 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇/駆逐艦(2)』。Ref.C14010006000。
- 『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日/除籍艦艇掃海艇』。Ref.C14010006600。
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『世界の艦船増刊第107集 日本駆逐艦史』海人社、2012年12月。