石馬谷古墳
石馬谷古墳(いしうまだにこふん、小枝山5号墳)は、鳥取県米子市淀江町福岡にある古墳。形状は前方後円墳。向山古墳群(うち小枝山古墳群)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定され(史跡「向山古墳群」のうち)、出土の石馬は国の重要文化財に指定されている。
石馬谷古墳 | |
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墳丘(左に前方部、右奥に後円部) | |
別名 | 小枝山5号墳[1] |
所属 | 向山古墳群(うち小枝山古墳群) |
所在地 | 鳥取県米子市淀江町福岡 |
位置 | 北緯35度27分7.05秒 東経133度26分33.60秒 / 北緯35.4519583度 東経133.4426667度座標: 北緯35度27分7.05秒 東経133度26分33.60秒 / 北緯35.4519583度 東経133.4426667度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 |
墳丘長61.2m 高さ5m(後円部) |
埋葬施設 | 不明 |
出土品 | 石馬・須恵器・埴輪 |
築造時期 | 6世紀中葉 |
史跡 | 国の史跡「向山古墳群」に包含 |
有形文化財 | 石馬(国の重要文化財) |
特記事項 | 本州唯一の石人石馬 |
地図 |
本州では唯一となる石人石馬の出土で知られる。
概要
編集鳥取県西部、淀江平野東部の小枝山丘陵の山腹斜面に築造された古墳である[2][3]。1989年(平成元年)に試掘調査が実施されている[3]。
墳形は前方後円形で、前方部を南西方に向ける。墳丘は2段築成[2]。墳丘長は61.2メートルを測る[4]。墳丘表面では葺石のほか、円筒埴輪(朝顔形埴輪含む)・形象埴輪(人物形・盾形埴輪)が検出されている[2]。埋葬施設は明らかでない[2]。埴輪以外の出土品としては石馬・須恵器があり、特に石馬は本州では唯一の出土例として注目される[2]。築造時期は古墳時代後期の6世紀中葉頃と推定される[4]。
古墳域は1999年(平成11年)に国の史跡に指定され(史跡「向山古墳群」のうち)[5]、石馬は1959年(昭和34年)に国の重要文化財に指定されている[6]。
遺跡歴
編集墳丘
編集墳丘の規模は次の通り[3]。
- 墳丘長:61.2メートル
- 後円部 直径:34.5メートル
- 後円部 高さ:5メートル
淀江地域では向山4号墳(64.5メートル)に次ぐ第2位の規模になる[3]。
出土品
編集石馬谷古墳からの出土品としては石馬が知られる。石製の埴輪で、こうした石製品は一般に「石人石馬」と総称される。石材は大山産の角閃石安山岩で、全長約150センチメートル・高さ約90センチメートルを測る[7]。前脚を欠くが、表面には馬具(轡・手綱・鞍など)が表現される[4][7]。また全体的に赤く塗られていたと推定される[4][7]。
石人石馬は岩戸山古墳(福岡県八女市)など九州地方北部で多数が確認されているが、本州では本古墳例のみになる点で注目される[7]。九州地方北部の例は阿蘇溶結凝灰岩製である一方で本古墳例は地元石材であるが、山陰地方と九州地方との交流を示す資料とされる[7]。
この石馬は江戸時代には「石馬大明神」として祀られており[7]、1902年(明治35年)に坪井正五郎が存在を確認し、大正年間(1912-1926年)に前方部付近で同種の石製品片が採集されたことで石馬谷古墳の出土品と推定されている[1][2]。1959年(昭和34年)に国の重要文化財に指定され、現在は天神垣神社収蔵庫で保管されている[7]。
文化財
編集重要文化財(国指定)
編集脚注
編集- ^ a b c d 石馬谷古墳(古墳) 1989.
- ^ a b c d e f g 石馬谷古墳(平凡社) 1992.
- ^ a b c d e 米子市埋蔵文化財センターたより第28号 (PDF) (米子市埋蔵文化財センター、2018年(リンクは米子市文化財団))。
- ^ a b c d 向山古墳群パンフレット.
- ^ a b 向山古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ a b c 石馬 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ a b c d e f g 天神垣神社境内 石馬説明板(鳥取県教育委員会、2015年設置)。
- ^ 石馬(鳥取県ホームページ「とっとり文化財ナビ」)。
- ^ 石馬(米子市ホームページ)。
参考文献
編集(記事執筆に使用した文献)
- 向山古墳群パンフレット (PDF) (米子市教育委員会)
- 大塚初重「石馬谷古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 「石馬谷古墳」『日本歴史地名大系 32 鳥取県の地名』平凡社、1992年。ISBN 4582490328。
関連文献
編集(記事執筆に使用していない関連文献)
- 『向山古墳群 -向山古墳群・瓶山古墳群・石馬谷古墳の調査-(淀江町埋蔵文化財発掘調査報告書第17集)』淀江町教育委員会、1990年。