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この項目では、鳥取県米子市の古墳群について説明しています。その他の向山古墳については「向山古墳」をご覧ください。 |
向山古墳群(むこうやまこふんぐん)は、鳥取県米子市淀江町福岡にある古墳群。国の史跡に指定されている。
古墳時代後期では伯耆最大規模の首長墓群で、1932年(昭和7年)7月23日に群中の岩屋古墳(1号墳)が、1999年(平成11年)7月13日には、長者ヶ平古墳を除く61,082平方メートルが国の史跡に指定されている。
古墳群は通称「向山」と「瓶山」と呼ばれる丘陵上を中心に、現在までに前方後円墳9基、円墳5基、方墳2基、不明1基の、計17基が確認されている。
現在、一帯は「伯耆古代の丘」として整備されており、今後、向山古墳群の本格的な整備も予定されている。近接して、史跡上淀廃寺跡・妻木晩田遺跡が所在する。
- 岩屋古墳(いわやこふん)
- 向山1号墳。全長52メートル、高さ6メートルを測る前方後円墳で、更に後円部に15メートル四方の張り出しが付く。6世紀後葉の築造と考えられる。墳丘は2段で、葺石を有する。明和元年(1764年)に記された『伯路紀草稿』に「岩屋」の記載があり、すでに江戸時代中頃には石室が開口していたことがわかる。石室は全長9メートルを測る複室構造の横穴式石室で、精美な石棺式石室である。前方部が削られた際に、箱式石棺が出土し、礫敷の上に2体を埋葬、鉄刀1点が副葬されていたと伝えられる。周溝からは、土器や円筒埴輪の他に、人物、馬、水鳥など多くの形象埴輪も出土している。
- 長者ヶ平古墳(ちょうじゃがなるこふん)
- 向山5号墳。全長48mを測る帆立貝式の前方後円墳である。6世紀中頃の築造と考えられる。中央には、明治2年に出土したという大規模な畿内型の横穴式石室が開口している。内部はベンガラで塗られ、鉄刀や鉄鉾が壁に立てかけられ、奥には石棺が置かれていたという記録が残る。また、現在は消滅しているが、明治34年には、その東側で小規模な石槨が検出され、希少な金銅製冠や三累環頭大刀などが出土した。現在、これらの出土品は東京大学の資料館に保管されている。
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1号墳(岩屋古墳)石室
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2号墳
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3号墳
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4号墳
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5号墳(長者ヶ平古墳)石室
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6号墳
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7号墳
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8号墳
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- 向山古墳群
- 1932年(昭和7年)7月23日、岩屋古墳が国の史跡に指定[1]。
- 1999年(平成11年)7月13日、史跡「岩屋古墳」に従来未指定であった古墳13基(向山古墳群5基(5号墳除く)、瓶山古墳群7基、石馬谷古墳)を追加指定して、史跡指定名称を「向山古墳群」に変更[1]。
- 『向山古墳群(淀江町埋蔵文化財発掘調査報告書 第17集)』淀江町教育委員会、1990年。