石貫 (玉名市)
石貫(いしぬき)は、熊本県玉名市の大字。郵便番号は865-0008[2]。
石貫 | |
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廣福寺 | |
北緯32度57分47秒 東経130度33分22秒 / 北緯32.96306度 東経130.55611度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 熊本県 |
市町村 | 玉名市 |
人口 | |
• 合計 | 846人 |
等時帯 | JST |
郵便番号 |
865-0008[2] |
市外局番 | 0968[3] |
ナンバープレート | 熊本 |
地理
編集玉名市北部の菊池川に注ぐ繁根木川中流域、北東、伊倉台地の南端に位置し、北側で三ツ川、東で三ツ川・青木、南東で玉名、南で玉名及び富尾、東側で立願寺、北東で荒尾市樺と接している。
当地には国指定の文化財にも指定されている石貫ナギノ横穴群や石貫穴観音横穴など、良質な阿蘇凝灰岩を利用した文化財が多くある。
安世寺地区
編集字安世寺にある石貫穴観音横穴は「お観音さん」の掘られた平安時代初期当時から千年以上にわたって周辺住民によって絶えず手入れがなされている[4]。また、石貫ナギノ横穴群を含む石貫穴観音横穴を中心とした地域の景観を守るため、玉名市景観計画[5]によって字安世寺を含む周辺地域は建築物の建築等の制限がされている。
河川
編集山岳
編集歴史
編集当地はかつて養蚕業が盛んであった。
中世
編集建久7年(1196年)に俊芿が観音岳の頂上に正法寺を建立すると、建永2年(1207年)に俊芿の跡を継いだ覚俊が大平野寺院を太平寺に建立した。元徳2年(1330年)には菊池武時が永平寺の大智を招き、当地に広福寺を建立したとされる。現在、菊池氏の寄進状などの広福寺文書や、大智の墨跡 などは国重要指定文化財に指定されている。石貫の前身である石貫村は南北朝時代頃からあった。
近代以降
編集明治7年(1874年)には石貫小学校が設立された(のちの玉名市立石貫小学校)[6]。その後、石貫小学校は玉名市立玉陵小学校に統合されたが、跡地は文化財の保存施設として活用することが検討されている[7]。
沿革
編集人口と世帯数
編集2015年(平成27年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
石貫 | 289世帯 | 846人 |
小・中学校の学区
編集市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]。
町丁 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
全域 | 玉名市立玉陵小学校 | 玉名市立玉陵中学校 |
かつては当地に玉名市立石貫小学校があった。
交通
編集道路
編集- 玉名広域道路
鉄道
編集当地を九州新幹線(新大牟田駅〜新玉名駅間)が通過しているが、当地に駅は存在しない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は新玉名駅となる。
バス
編集当地内をバス路線は通っていない。
施設
編集- 石貫簡易郵便局
- 玉名カントリークラブ
- 石貫小学校跡
- 廣福寺
文化財
編集国指定
編集- 石貫ナギノ横穴群[9]
- 石貫穴観音横穴
市指定
編集- 一二三之橋架橋碑 - 重要有形文化財(歴史資料)。
- 石貫車橋 - 重要有形文化財(建造物)。
- 安世寺墓塔群 - 登録遺跡。
脚注
編集- ^ a b “平成27年国勢調査 小地域集計 男女別人口及び世帯数-町丁・字等”. 熊本県. 2024年6月19日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2024年7月7日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2024年6月9日閲覧。
- ^ “暮らしの営みと信仰で守られてきた景観『石貫安世寺地区』”. 玉名市. 2024年6月22日閲覧。
- ^ “「玉名市景観計画」について”. 玉名市. 2024年6月23日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 43 熊本県』角川書店、1987年12月8日、131〜133頁。
- ^ “天水中3答弁(PDFファイル)”. 玉名市. 2024年6月23日閲覧。
- ^ “玉名市立小・中学校の通学区域について”. 玉名市. 2024年6月19日閲覧。
- ^ “指定文化財一覧”. 玉名市. 2024年6月19日閲覧。
- ^ “紙本墨書広福寺文書(百八通)(しほんぼくしょこうふくじもんじょ)”. 玉名市. 2024年7月7日閲覧。
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 43 熊本県』角川書店、1987年12月8日。ISBN 4-04-001430-8。