石谷清茂
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 元文3年(1738年) |
死没 | 寛政10年5月24日(1798年7月7日) |
別名 | 市十郎、市右衛門 |
官位 | 従五位下肥前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 石谷氏 |
父母 | 父:石谷清夤、養父?:石谷清盈 |
兄弟 | 石谷清盈、銕次郎、女子、石谷清馨、兵三郎、石谷清茂、石谷清憐 |
妻 | 松波正英の娘 |
子 | 女子、石谷清順、石谷清廣、女子 |
生涯
編集石谷清夤の5男として生まれる。明和3年(1766年)12月3日、兄の石谷清盈の後を継ぐ。同月21日はじめて徳川家治に拝謁する。明和4年(1767年)2月20日、書院番の番士となり、安永5年(1776年)4月、徳川家治の日光社参の際に諸道具奉行を務める。安永6年(1777年)4月21日、御徒歩頭となり、同年12月18日、布衣の着用を許される。天明8年(1788年)10月19日、西城の御目付となる。寛政元年(1789年)9月7日、御目付となる。寛政3年(1791年)5月11日、禁裏付に移り、同年7月11日、従五位下肥前守に叙任される。寛政9年(1797年)9月19日、御持筒頭となった。
参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜』