石神良訓

日本のサッカー選手

石神 良訓(いしがみ よしのり、1957年11月4日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。サッカー選手の石神幸征は甥にあたる [2]

石神 良訓
名前
カタカナ イシガミ ヨシノリ
ラテン文字 ISHIGAMI Yoshinori
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1957-11-04) 1957年11月4日(67歳)
出身地 静岡県
身長 178cm
体重 70kg
選手情報
ポジション DF
ユース
1973-1975 日本の旗 静岡工業高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1976-1990 日本の旗 ヤマハ発動機
代表歴
1984-1986[1] 日本の旗 日本 12 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

略歴

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静岡県立静岡工業高等学校時代に吉田弘と共に高校サッカー選手権準優勝。卒業後の1976年、当時の静岡県リーグ1部のヤマハ発動機サッカー部に入部。身体能力を活かした屈強なストッパーとして守備陣を支え、1982年の天皇杯全日本サッカー選手権大会制覇や1987-88シーズン日本サッカーリーグ制覇などに貢献した。

日本代表には1984年に初選出され、同年9月30日に敵地での韓国代表との親善試合にて代表初出場[1]加藤久とセンターバックのコンビを組める人材を探していた当時の森孝慈監督に認められ、レギュラーの座を掴むと翌年のワールドカップ・メキシコ大会予選に出場、最終予選進出に貢献した。その後、1986年のアジア競技大会など、国際Aマッチ12試合に出場した。

引退後は指導者の道へ進み、2009年までジュビロ磐田の育成センター育成統括を務めた。

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1976 ヤマハ 静岡県1部 -
1977 東海 -
1978 - -
1979 JSL2部 -
1980 15 JSL1部 9 1
1981 4 17 4
1982 JSL2部 18 1
1983 JSL1部 18 1
1984 18 1
1985 22 0
1986-87 21 0
1987-88 21 2
1988-89 21 0
1989-90 11 0 5 0
通算 日本 JSL1部 158 9
日本 JSL2部
日本 東海
日本 静岡県1部
総通算

代表歴

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出場大会など

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試合数

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  • 国際Aマッチ 12試合 0得点(1984-1986)[1]


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1984 1 0 0 0 1 0
1985 8 0 7 0 15 0
1986 3 0 3 0 6 0
通算 12 0 10 0 22 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦相手 結果 監督 大会
1. 1984年09月30日  ソウル   韓国 ○2-1 森孝慈 日韓定期戦
2. 1985年02月23日  シンガポール   シンガポール ○3-1 ワールドカップ予選
3. 1985年03月21日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   北朝鮮 ○1-0 ワールドカップ予選
4. 1985年04月30日  平壌   北朝鮮 △0-0 ワールドカップ予選
5. 1985年05月18日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   シンガポール ○5-0 ワールドカップ予選
6. 1985年06月04日  愛知県 名古屋市瑞穂公園陸上競技場   マレーシア ○3-0 キリンカップ
7. 1985年09月22日  香港   香港 ○2-1 ワールドカップ予選
8. 1985年10月26日  東京都 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場   韓国 ●1-2 ワールドカップ予選
9. 1985年11月03日  ソウル   韓国 ●0-1 ワールドカップ予選
10. 1986年07月25日  クアラルンプール   シリア ○2-1 石井義信 ムルデカ大会
11. 1986年09月22日  大田   イラン ●0-2 アジア大会
12. 1986年09月24日  大田   クウェート ●0-2 アジア大会

指導歴

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出典

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  1. ^ a b c “石神 良訓”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_a/yoshinori_ishigami.html 
  2. ^ 水戸が筑波大DF石神、正智深谷MF内田らを獲得”. ゲキサカ (2011年12月6日). 2013年1月4日閲覧。

外部リンク

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