栃木県立石橋高等学校

日本の栃木県下野市にある公立高校
石橋高等学校から転送)

栃木県立石橋高等学校(とちぎけんりついしばしこうとうがっこう)は、栃木県下野市石橋に所在する公立高等学校

栃木県立石橋高等学校
栃木県立石橋高等学校通用門
地図北緯36度26分19.9秒 東経139度51分28.7秒 / 北緯36.438861度 東経139.857972度 / 36.438861; 139.857972座標: 北緯36度26分19.9秒 東経139度51分28.7秒 / 北緯36.438861度 東経139.857972度 / 36.438861; 139.857972
過去の名称 栃木県立石橋中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 栃木県の旗 栃木県
学区 全県一学区
校訓 爾の立てるところを深く掘れ
設立年月日 1924年
創立記念日 4月20日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
学校コード D109210000212 ウィキデータを編集
高校コード 09117A
所在地 329-0511
栃木県下野市石橋845
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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栃木県立石橋高等学校の位置(栃木県内)
栃木県立石橋高等学校

設置学科

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概要

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1924年創立。栃木県下野市にある普通科のみの共学校で、略称は「石高(いしこう)」。

学校行事として、学習合宿・進学習熟度別授業・放課後の自主学習の支援、球技大会・合唱コンクール・マラソン大会などが行われている。

所在地
教育目標
  • 社会の変化に自ら対応できる知・徳・体の調和のとれた心豊かな人間を育成する。
校訓

大正14年制定

  • 正道忠信
  • 質実剛健
  • 公正自治
  • 克己自制     
  • 「爾のたてるところを深く掘れ、然らばそこに清き泉湧かん」

Wo du stehst, grab' tief hinein ! Drunten ist die Quelle !             

基本理念
  • 豊かな教養と高い学力をつける
  • 自己の生き方を深く考え、高い志を育てる
  • 自主的・自律的な態度を育てる

沿革

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  • 1924年大正13年)3月 - 旧制栃木県立石橋中学校として創設、当初授業は石橋尋常小学校(現・下野市立石橋小学校)の校舎で行われた
  • 1925年(大正14年)3月 - 校舎落成、現在地へ移転
  • 1928年昭和3年)2月 - 校歌制定。(作詞・鈴木栄観(当時の同校国語教諭)、作曲・梁田貞
  • 1948年(昭和23年)4月 - 学制改革により栃木県立石橋高等学校と改称
  • 1949年(昭和24年)4月 - 男女共学となる
  • 1950年(昭和25年)4月 - 家庭科設置(のちの1963年に家政科に改められた)
  • 1952年(昭和27年)2月 - 新しい校歌(作詞・土岐善麿、作曲・信時潔)、校旗に変更
  • 1991年平成3年)4月 - 家政科を普通科へ統合
  • 1993年(平成5年)3月 - 家政科閉科
  • 2024年 (令和6年) 8月 - 硬式野球部が第106回全国高等学校野球選手権大会に出場。 

著名な出身者

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著名な関係者

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  • 岩原篤男 - 吹奏楽指導者
  • 吉田寿光 - 元同校教員、Jリーグ審判(プロフェッショナル・レフェリー)

部活動

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  • クイズ研究会、吹奏楽部、ハンドボール部、放送部などに於いて関東大会・全国大会への出場実績がある。全国高等学校クイズ選手権第14回大会優勝校(女子高生3人チームだった)。
  • 2016年には野球部が関東大会(秋季)に初出場すると、2023年には春の甲子園に21世紀枠で初出場[2]。2024年には初めてとなる夏の県大会決勝進出で見事、國學院栃木に対して9-8で勝ちを納め初優勝し、夏の甲子園の出場を決めると、宮城代表聖和学園に勝ちを納め甲子園初勝利したが、3回戦で青森代表青森山田に0-5で敗れ、ベスト16となった。

交通

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脚注

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  1. ^ Instagram”. www.instagram.com. 2024年7月29日閲覧。
  2. ^ 選抜21世紀枠に石橋を選出 春夏通じて初の甲子園へ|下野新聞 SOON”. 下野新聞 SOON. 2023年2月7日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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