石川章長
石川 章長(いしこ あきなが)は、尾張藩家臣、美濃駒塚領主、石川(石河)家第3代当主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 慶安2年(1649年) |
死没 | 宝永5年5月4日(1708年6月21日) |
改名 | 七郎左衛門(幼名)→章長 |
別名 | 伊賀(通称) |
官位 | 従五位下、伊賀守、大和守、出羽守、佐渡守 |
主君 | 徳川光友→綱誠→吉通 |
藩 | 尾張藩家老 |
氏族 | 美濃石川氏 |
父母 | 父:石川正光、母:竹腰正信の娘 |
兄弟 | 章長、生駒宗勝室、渡辺長綱室 |
子 |
正章、鏡嶋正信、章貴、竹腰正武、政朝、章治 養子:渡辺定綱室(毛利内記頼説娘) |
略歴
編集慶安2年(1649年)、尾張藩家老石川正光の子として生まれる。寛文11年(1671年)、父の死去により家督を相続する。延宝3年(1675年)、家老となる。延宝4年(1676年)、庄内川洪水の際に、職務怠慢を理由に処分を受けた。延宝5年(1677年)従五位下伊賀守に叙任。貞享4年(1687年)、東山天皇即位式典の祝賀使を務める。
宝永3年(1706年)、隠居して家督を長男の正章に譲る。次男正信は鏡嶋家を相続、三男章貴は分家し、四男正武は竹腰家を相続して家老となり、五男政朝は旗本石河家を相続して、大目付に累進した。
宝永5年(1708年)5月4日死去。
参考文献
編集- 『名古屋市史』