石川望足
経歴
編集官人歴名によると、天平宝字2年(758年)ごろに大蔵少丞であったことが知られている[1]。
称徳朝の天平神護元年(765年)称徳天皇は河内国・和泉国への行幸に際して、両国の調および河内国の大県郡・若江郡・和泉国の3郡の田租を免除するという詔を出し、さらに行宮近辺の70歳以上の高齢者に物を与え、(十悪と盗人以外の)死罪以下を犯した者をすべて赦免した。そして、郡司や伴奉の人々は地位に応じて爵および物を与えられ、河内守であった石上息継は正五位上へ、河内介であった望足は従五位下にそれぞれ一階昇叙された。神護景雲3年(769年)右京亮として京官に復す。
光仁朝の宝亀2年(771年)息長道足の後任として大監物に任ぜられる。宝亀5年(774年)多治比豊浜の後任の信濃守として再び地方官に転じ、宝亀9年(778年)大原浄貞と交替して信濃守を辞した。
官歴
編集注記のないものは『続日本紀』による。
脚注
編集- ^ 『大日本古文書』第十五巻。131頁