石川三郎 (政治家)
石川 三郎(いしかわ さぶろう、1881年(明治14年)5月19日[1][2] - 1940年(昭和15年)12月10日[1][2][3])は、明治後期から昭和前期の陸軍軍人、政治家。貴族院多額納税者議員、衆議院議員(立憲政友会)、佐賀県砥川村長。
経歴
編集佐賀県小城郡砥川村柳鶴[2](現在の江北町)出身。大地主・石川源蔵の三男として生まれる[2]。砥川小学校[2]、佐賀県立佐賀中学校を卒業[1]。1900年(明治33年)、陸軍士官学校に入学し[1]、1901年(明治34年)11月22日に卒業[4](13期[5])し、1902年(明治35年)6日23日[4]に砲兵少尉に任じられた。日露戦争に従軍し、砲兵中尉に昇進。1906年(明治39年)陸軍砲工学校に入学し、1908年(明治41年)に同校高等科を卒業して砲兵大尉に任ぜられた。その後、陸軍重砲兵射撃学校や陸軍士官学校で教官を務めたが、1913年(大正2年)2月18日に予備役となった[1][6]。
その後、砥川村会議員、佐賀県会議員を経て、1920年(大正9年)の衆議院補欠選挙で当選した[7]。1925年(大正14年)佐賀県多額納税者として貴族院多額納税者議員に互選され同年9月29日に就任し[8]、1932年(昭和7年)に再選された[9]。同年、砥川村長に就任し、8年間にわたって農村の振興に尽力した。1939年(昭和14年)9月28日、貴族院議員に2期在任し任期満了で退任した[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 『貴族院要覧(丙) 昭和十三年十二月増訂』貴族院事務局、1938年。
- 「故石川三郎位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11114992800
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。