YXIMALLOO
経歴
編集1970年代後半より活動を開始し、1980年から90年にかけて宅録によるカセットテープの作品を発表していた[3]。その後1990年代には作品群がCD化される。1995年頃に活動を中止したが、2008年に13年ぶりの新作がニューヨーク老舗ジャズレーベルのESPよりリリースされた。
本人曰く“九州の片田舎”出身[4]。1970年代、17歳の時に全日本フォークジャンボリーに出演[5]。大学進学で上京[5]。1975年頃からシュガー・ベイブ、細野晴臣、荒井由実、キャラメル・ママのマネージメント事務所に入り[4]、コンサートを企画[5]。しかし自身が音楽家として活動するため1年で退職[4]。
1981年より本格的にライヴ活動を開始。西麻布の地下にあったニュー・ウェイヴ・ディスコ、青山のクーリー・スクリークなどに出演し、その録音を1983年にカセットでリリース。この最初のカセットは、海外ラフ・トレードにより1000本ディストリビュートされた[5]。
1987年、フィラデルフィアの友人-Silt Breeze,Furry Couch-のところに居候をしていたイシマルーが、モー・タッカーとツアー中だったジャド・フェアにコンタクトを取り、2本目のカセットを送り[4]、以降、ジャドとテープのやり取りを開始[6]。イシマルーのほとんどのテープのジャケットイラストはジャドが描いている。1987年、1988年、1990年に海外ツアー。1992年に共同名義によるCD『JAD&NAO』をリリース[6]。この音源は1990年の6月と9月に行われたスタジオ録音10曲と、ジャドのこれまでのボツ曲などを組み合わせたもので、全75曲入り[6]。この録音にはダニエル・ジョンストンも誘っていたが、ダニエルの体調が良くなかったため実現しなかった[6]。
1990年代に起きたローファイブームにおいて、日本におけるローファイの先駆者として注目された。1995年にはコステスとツアー。コステスはボアダムスのオファーを断りYXIMALLOOとの共演を選んだ[7]。
ディスコグラフィー
編集- ざ わーすと おぶ 一九八一
- ざ わーすと おぶ 一九八二
- ざ わーすと おぶ 一九八四
- ざ わーすと おぶ 一九八六
- ライブ
- キッチュ シャーマン
- テクノ シュライン コアイアー
- Unpop
- The Best of Yximalloo 1
- The Best of Yximalloo 2
- The West of Yximalloo 3
- アンポップ(2008年11月11日、レーベル:ESP Disk)EAN 0825481040471
脚注
編集出典
編集- ^ Kompakt
- ^ “Yximalloo”. www.espdisk.com. 2023年10月20日閲覧。
- ^ 屋根裏、どどいつ文庫、伊藤ばるぼら、タコシェ、野中モモ、ダブロイド、福井康人『世界のサブカルチャー』翔泳社、2008年。ISBN 4798113581。
- ^ a b c d 『ミュージック・マガジン』1995年4月号、ミュージック・マガジン社、1995年。p110-111「People イシマルー」
- ^ a b c d 『remix』21号、アウトバーン、1993年。p109「ジャドとの共作『JAD&NAO』を発表した石丸尚文インタビュー」
- ^ a b c d 『remix』22号、アウトバーン、1993年。p39「キング・オブ・チープ・アヴァンギャルド王、イシマルー」
- ^ 『D'artie』2号、TRANSIT D'artie編集部、1996年。p28-33「YXIMALOO INTERVIEW」