矢田 俊隆(やだ としたか、1915年大正4年〉7月23日[1][2] - 2000年7月14日[3][4])は、日本歴史学者政治学者北海道大学名誉教授中欧史を研究。

矢田 俊隆
人物情報
生誕 (1915-07-23) 1915年7月23日
日本の旗 日本三重県桑名市
死没 2000年7月14日(2000-07-14)(84歳没)
出身校 東京帝國大学
学問
研究分野 歴史学(西洋史)・政治学
研究機関 北海道大学
学位 法学博士
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略歴

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1915年、三重県桑名市生まれ[2]。1938年、名古屋市第八高等学校 (旧制)卒業[2]東京帝國大学文学部に進み、西洋史を専攻する[2]。1938年、東京帝國大学文学部を卒業し、同大学院へ進学[2]。1940年、東京帝國大学大学院文学研究科を修了し、同文学部の副手となる(1943年まで)[2]

日本大学東京女子大学などの講師を経て、1949年に成蹊大学政治経済学部教授に就く[2]。1950年、北海道大学法経学部教授となり[2]、1953年の学部改組に伴い法学部教授となった[2]。1957年以降、同大学スラブ研究センター研究員を併任する。1962年「中欧における自由と民族の問題」を北海道大学に提出して法学博士学位を取得[2]。1979年、北海道大学を停年退官[2]、名誉教授[2]となる。同年4月から成城大学法学部教授[2]。1986年、成城大学を定年退職[2]

研究対象・研究内容

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受賞・栄典

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著作

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単著

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  • 『新稿世界史 ヨーロッパアメリカ篇』有精堂 1951
  • 『世界史』有精堂出版 1954
  • 『世界史の人びと 6 民主主義への道』寺島竜一筑摩書房 1956
  • 三月革命弘文堂 アテネ文庫 世界歴史シリーズ 1958
  • 『新制世界史』有精堂出版 1964
  • 『近代中欧の自由と民族』(ユーラシア文化史選書:吉川弘文館、1966年)
  • 『大世界史17 自由と統一をめざして』(文藝春秋、1968年)
  • メッテルニヒ ヨーロッパ国際政治の立役者』清水書院 Century books 人と歴史シリーズ 1973年
  • 『ハプスブルク帝国史研究 中欧多民族国家の解体過程』(岩波書店、1977年)
  • 『世界現代史26 ハンガリー・チェコスロヴァキア現代史』(山川出版社、1978年)
  • 『オーストリア現代史の教訓』(人間科学叢書:刀水書房、1995年)

共編著

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  • 『近代民主政治の発達』小林幸輔共著 金星堂 世界史シリーズ 1950
  • 『現代の世界』山崎宏共著 金星堂 世界史シリーズ 1950
  • 『ヨーロッパの天才たち』山上正太郎共編、創芸社 1950
  • 『世界各国史13 東欧史』(編著、山川出版社、1977年)
  • 『世界現代史25 オーストリア・スイス現代史』(田口晃共著、山川出版社、1984年)

訳書

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  • フリードリッヒ・マイネッケ『独逸国民国家発生の研究 世界主義と国民国家』冨山房、1943年
    • 『世界市民主義と国民国家 ドイツ国民国家発生の研究』岩波書店(全2巻)、1968-72年
  • フリードリッヒ・マイネッケ『ドイツの悲劇 考察と回想』弘文堂 アテネ新書、1951年、中公文庫、1974年
  • バーバラ・ジェラヴィッチ『近代オーストリアの歴史と文化 ハプスブルク帝国とオーストリア共和国』山川出版社、1994年

参考文献

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脚注

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  1. ^ 『著作権台帳』
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 矢田俊隆先生略歴および業績 (矢田俊隆先生古稀祝賀記念号)」『成城法学』第24巻、成城大学、1987年3月、221-228頁。 
  3. ^ 『人物物故大年表』
  4. ^ a b 矢田俊隆 北海道大学名誉教授が死去 | 訃報-H12”. 一般社団法人 成蹊会. 2022年4月27日閲覧。
  5. ^ a b 矢田俊隆名誉教授の蔵書の寄贈について”. www.lib.hokudai.ac.jp. 北海道大学附属図書館. 2022年4月27日閲覧。