矢橋徳太郎
矢橋 徳太郎(やばし とくたろう、1916年 - 1996年)は、日本の科学者・天文学者。愛知淑徳短期大学教授。「先祖は嵯峨天皇の第12皇子で光源氏の実在モデルの有力候補とされる源融(みなもとのとおる)にまで遡る(アーカイブ)」矢橋家(岐阜県大垣市赤坂)[注釈 1][2][3][4][5]の出身。岐阜天文台副理事長。岐阜天文台・母校愛知県立旭丘高等学校(愛知県第一中学校56回生)など全国200箇所程設置されており、世界最高の精度を誇る「矢橋式日時計」を考案した。 CBCクラブ文化賞 (くちなし章) 受賞[6]。母校同窓会鯱光会被顕彰者[7] 。
やばし とくたろう 矢橋 徳太郎 | |
---|---|
生誕 |
1916年 日本 |
死没 | 1996年 |
国籍 | 日本 |
民族 | 日本人 |
出身校 |
愛知県第一中学校(現・愛知県立旭丘高等学校) 以後不明 |
職業 |
科学者 天文学者 |
活動期間 | 20世紀 |
代表作 |
「矢橋式日時計」 (岐阜天文台・愛知県立旭丘高等学校など全国200箇所程に設置) |
活動拠点 |
日本 岐阜県 愛知県 |
親 | 父 : 矢橋厚一郎 |
親戚 |
祖父 : 矢橋友吉 大伯父 : 矢橋敬吉[1] 大叔父 : 矢橋亮吉 再従弟 : 矢橋龍太郎 再従弟 : 矢橋宗一 再従弟 : 矢橋恒男 再従弟 : 原乙彦 |
受賞 |
CBCクラブ文化賞 (くちなし章) 鯱光会顕彰 |
略歴
編集1916年、美濃赤坂生まれ。発起人となり十六銀行赤坂支店の前身である興産会社[8]を設立した矢橋友吉の孫。矢橋厚一郎の子。
愛知県第一中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)卒業。愛知一中56回生[7]。
金属盤を調整する事によっ て誤差をなくして正確な時刻を確認出来る様になっており、月日を合わせる事でほぼ正確な時間が分かる、「矢橋式日時計」を考案する。日時計ながら5分刻みという世界最高の精度を誇る[9]。古代中国の火時計と並べて展示する近江神宮[9]、岐阜天文台、愛知県立旭丘高等学校校舎正面、高知城の丸の内公園など、全国に200箇所程設置されている[10]。
1983年 「立体解析幾何学の知識を駆使し誤差が1分以内という日時計を製作し、作品は各地の公共施設に多数設置される」という功績で、CBC クラブ文化賞 (くちなし章) を受賞している[6]。
1988年、母校愛知県立旭丘高等学校同窓会・「鯱光会」、矢橋徳太郎の「特に顕著な業績」を称え、顕彰[7]。
日本の主な矢橋式日時計
編集主な著作
編集- 矢橋徳太郎『日時計の改良、矢橋式日時計について』 三祐堂 (昭和44年初版) 、1994年
- 岸上冬彦, 矢橋徳太郎、「昭和15年7月の三宅島噴火速報」『地震第 2輯』 1940年 12巻 9号 p.383-393, doi:10.14834/zisin1929.12.383
- 矢橋徳太郎「日時計の改良」 『愛知淑徳短期大学研究紀要』 (4), 21-28, 1965-03
- 矢橋徳太郎ほか「OAA総会での研究発表-3」天界、1968年11月
系譜
編集曽祖父 - 矢橋宗太郎(美濃赤坂生まれ。矢橋本家当主。大地主。明治維新の廃藩置県の時に、徳川家康が織田信長の岐阜城千畳敷御殿を移築し造営させた将軍家専用休泊所であるお茶屋屋敷の払下げを受けた[19])
祖父の代
編集- 祖父 - 矢橋友吉(美濃赤坂生まれ。発起人となり十六銀行赤坂支店の前身・興産会社を設立する[20]。)
- 大伯父 - 矢橋敬吉[1](1859年10月、美濃赤坂生まれ。号楓園。大地主。赤坂銀行〈十六銀行〉取締役。同氏に昭和天皇と皇太子時代の明仁上皇のご訪問〈行幸 (昭和21年・昭和40年)〉があったこと[21]、所有するお茶屋屋敷〈徳川家康造営の将軍家専用休泊所跡〉の保存・公開[22]などで、知られる同氏の本家当主[23][24][25][26][27])
- 大叔父 - 矢橋亮吉(1867年9月、美濃赤坂生まれ。矢橋大理石 創業者。その大理石を使って建てた西洋館に昭和天皇と皇太子時代の明仁上皇のご訪問〈行幸 (昭和21年・昭和40年)〉があった[21]。大学生・大学院生への学資の支援を行なっている公益財団法人矢橋謝恩会[28](外務省経済協力局長・岐阜県知事・古田肇は奨学生の一人[29])の創設者。東京海上専務取締役・第45代文部大臣〈大日本帝国憲法時代〉を歴任し甲南大学・甲南高等学校・中学校を創立した平生釟三郎とは高等商業〈現・一橋大学〉時代互いに支え合った学友)
父の代
編集- 父 - 矢橋厚一郎(美濃赤坂生まれ。)
- 従伯叔父 - 矢橋龍吉(美濃赤坂生まれ。)[30]
- 従伯叔父 - 矢橋次郎(1892年11月、美濃赤坂生まれ。矢橋工業〈金生山参照〉 社長)[31]
- 従伯叔父 - 矢橋太郎(1895年5月、美濃赤坂生まれ。早世。)
- 従伯叔父 - 矢橋次雄(1898年1月、美濃赤坂生まれ。亮吉襲名。矢橋大理石 継ぐ。)
- 従伯叔父 - 矢橋五郎(1903年10月、美濃赤坂生まれ。関ヶ原製作所・関ヶ原石材 興す。)
- 従伯叔父 - 矢橋六郎(1905年11月、美濃赤坂生まれ。矢橋亮吉・五男。洋画家。待合せ場所としてよく利用されたJR名古屋駅新幹線口の壁画「日月と東海の四季」など、〈大理石〉モザイク壁画も手掛け日本近代画に革新的な役割を果たした[32])[33]
同世代
編集家系図
編集「矢橋家家系図」によれば、矢橋家(惣本家・本家・南矢橋・北矢橋)は、嵯峨天皇・源融(紫式部『源氏物語』の主人公光源氏の実在モデルの有力候補)まで遡る[注釈 1][34][3][4][5][35]。
- 《惣本家》矢橋藤十郎・幾世
- 《本家》矢橋宗太郎(廃藩置県の際、徳川家康が織田信長の岐阜城千畳敷御殿を移築し造営させたお茶屋屋敷の払下げを受く)
遠縁[39]:所郁太郎(実父・矢橋亦一、養父・所伊織)(大垣藩の生まれ、適塾塾頭、暗殺者に襲われた元勲・井上馨を治療した医師、幕末の志士、高杉晋作の参謀、長州藩遊撃隊軍監、従四位追叙)
注釈
編集- ^ a b 「……矢橋家は俳人松尾芭蕉も泊まった県内屈指の旧家。「日本外史」の著者・頼山陽も来遊したり、吉田茂の側近だった白州次郎の妻で随筆家の白州正子も幾度となく同家の牡丹園を訪れている。
先祖は嵯峨天皇から分かれた氏族・嵯峨源氏までさかのぼる。大垣の赤坂に住み、矢橋の姓を名乗ったのは彦十郎から。矢橋総本家初代当主だ。
5代目から藤十郎を襲名し、初代藤十郎は木因に師事し木巴と号し俳句をたしなんだ。2代目は、号を李明、4代目は丹陽、5代目(彦十郎を名乗る)は鳥江。6代目で再び藤十郎を名乗り号は十衛といった。
初代藤十郎の五男・三郎兵衛は分家。号は李仙。二代目、三代目も赤山、赤水と号して漢詩を作り、いずれも遺稿がある。矢橋家は、歴代、俳句や漢詩をたしなんできたのだ。
矢橋家が起業の道を歩むのは、三郎兵衛の6代目・宗太郎から。長男は敬吉で、当主は龍吉、龍太郎へと継がれ、林業、石灰業を興した。龍太郎はミツカングループの創業家、中埜家の7代目又ェ衛門の次女・茅子と結婚。その長男が現在、矢橋ホールディングスを率いる龍宜(52)だ。
敬吉の次男は次郎。その孫が慎哉(66)でグループ会社・矢橋工業の社長を務める。父の宗一も同社の会長を務めた。
(中略)
一方、宗太郎の五男・亮吉は分家し、後に1人3業(金融、大理石、育英事業)を成し遂げる。長男・太郎が早世し、次男の次雄が亮吉を襲名。太郎の孫・修太郎(66)が次雄の養子となり矢橋大理石の社長を務める。
亮吉の四男・五郎は、関ケ原製作所や関ケ原石材を興した。関ケ原製作所は現在、五郎の三男・昭三郎(74)が社長を経て会長を務めている。関ケ原石材は、長男・謙一郎が社長を務めた後、その長男・達郎(52)が社長を経て会長を務める。
まだまだ矢橋家は逸材を輩出している。亮吉の長男・太郎の娘婿の浩吉は、イビデンの社長(1973年9月就任)、会長(81年6月就任)を務めた。五男・六郎は、洋画家で大理石モザイク壁画も手掛け日本近代洋画の革新に重要な役割を果たした。次女・孝子は、十六銀行の第4代頭取を務めた桑原善吉に嫁いだ。
(中略)
宗太郎の三男・友吉の孫・徳太郎は、岐阜天文台の副理事長や愛知淑徳短大の教授を務め世界一の精度を誇る「矢橋式日時計」を考案した。……」(岐阜新聞社2013年8月20日[2])
出典
編集- ^ a b 矢橋敬吉
- ^ a b ぎふ財界をけん引してきた古今のリーダーたち 千紫万紅 ぎふ財界人列伝 矢橋家の人々 漢詩人から起業家まで 矢橋編(1)|岐阜新聞社、2013年8月20日
- ^ a b c 関ケ原の機器メーカー、敷地にアートな「人間村」岐阜|…〈矢橋家〉 平安時代の嵯峨源氏を祖とし、江戸初期に滋賀県から大垣・赤坂に移り住み、幕末ごろから…|朝日新聞 DIGITAL 2022年5月閲覧
- ^ a b 光源氏のモデル~源融公ゆかりの寺~淀殿も眠る【大阪・梅田】太融寺 2022年5月閲覧
- ^ a b …棲霞寺は嵯峨天皇の第12皇子、左大臣源融(とおる)(822―895)…|清涼寺 コトバンク 2022年5月閲覧
- ^ a b 1983年 第24回受賞者 : 矢橋徳太郎 | CBCクラブ文化賞(くちなし章)受賞者一覧
- ^ a b c 第11回鯱光会顕彰式(1988年11月5日)被顕彰者4名 : 服部邦雄・中村道太郎・矢橋徳太郎・上遠野達三郎・伊藤栄樹 | 鯱光会活動案内 過去の被顕彰者リスト - 鯱光会公式ホームページ
- ^ 十六銀行 赤坂支店
- ^ a b …「精密日時計(矢橋式日時計)」は、境内に設置されている。日時計ながら5分刻みという世界最高の精度を誇る。矢橋徳太郎(元愛知淑徳大学教授、元岐阜天文台副理事長)が考案した。… | 近江神宮(大津市)
- ^ 『ひどけい』15号9頁 (2009年3月) | 日本日時計の会会報
- ^ 矢橋式日時計 | 日時計の楽しみ(2)
- ^ 矢橋徳太郎「折々に思う」天界77 (858) |Web NDL Authorities - 国立国会図書館
- ^ 日時計 職員室の南側に… 2022年4月閲覧
- ^ 西の丸展示館前にある「矢橋式日時計」 - 4 2022年4月閲覧
- ^ 学校の歴史 2022年4月閲覧
- ^ 大垣市立赤坂中学校 2022年4月閲覧
- ^ a b 日時計の楽しみ(2) 2022年4月閲覧
- ^ ITmediaビジネス ONLINE 2022年4月閲覧
- ^ お茶屋屋敷跡 (岐阜県公式ホームページ)
- ^ 赤坂支店の歴史 | 十六銀行 赤坂支店
- ^ a b 西美濃地域 産業観光ガイド 〜 産業観光施設・企業、産業遺産・文化財の紹介 〜 / 天皇の行幸と矢橋家
- ^ 岐阜県大垣市赤坂 3・御茶屋屋敷.(矢橋家) 2017年10月10日閲覧。
- ^ 画像表示: 矢橋敬吉 (第4版) - 『人事興信録』データベース
- ^ 美濃赤坂宿 ■ 所郁太郎 ■ 矢橋家 2018年1月15日閲覧。
- ^ 中山道美濃路-2 赤坂 2018年10月12日閲覧。
- ^ 神戸大学 電子図書館システム --一次情報表示--時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家 (岐阜県の三(人員十名通計十八名)) 2018年10月5日閲覧。
- ^ 系譜 (「註釈一覧 3) 矢橋家」) 2019年1月15日閲覧。
- ^ 非営利法人データーベースシステム NOPODAS 公益財団法人矢橋謝恩会
- ^ NTT西日本 岐阜支店 (報道発表資料) : 矢橋亮吉が設立した公益財団法人矢橋謝恩会、奨学生古田肇 (通産省入省・外務省経済協力局長・岐阜県知事)
- ^ a b 矢橋龍吉 | 人事興信録(第8版)
- ^ a b 矢橋次郎 | 人事興信録(第8版)
- ^ 矢橋 六郎(ヤバシ ロクロウ)とは - コトバンク
- ^ 矢橋亮吉 | 人事興信録(第8版)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 矢橋家(矢橋大理石社長・矢橋修太郎の家系図)
- ^ 嵯峨源氏 コトバンク 2022年5月閲覧
- ^ 日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース 2024年4月閲覧
- ^ 中埜半左衛門家文書目録 解題(出典 中埜酢店刊『七人の又左衛門』)3頁(43頁) 2021年8月閲覧
- ^ 桑原邸 岐阜県公式ホームページ
- ^ ■矢橋家|美濃赤坂宿 2007.04.25.