矢板武
下野国・栃木県の実業家
矢板 武(やいた たけし、1849年12月28日(嘉永2年11月14日) - 1922年(大正11年)3月22日)は下野国・栃木県の実業家。那須疏水の開削で知られる。
やいた たけし 矢板 武 | |
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生誕 |
坂巻 七五郎 (さかまき しちごろう) 1849年12月28日(嘉永2年11月14日) 下野国塩谷郡矢板村 (現・栃木県矢板市) |
死没 | 1922年(大正11年)3月22日 |
国籍 | 日本 |
別名 |
坂巻 武兵衛 (さかまき ぶへえ) |
著名な実績 | 那須疏水の開削 |
略歴
編集下野国塩谷郡矢板村(現・栃木県矢板市)の坂巻家に長男として生まれる。出生名は坂巻七五郎(さかまき しちごろう)。後に武兵衛(ぶへえ)と名を改めた。
1866年(慶応2年) に矢板村組頭、明治維新を経て1869年(明治2年) に矢板村名主となる。翌年、黒崎七郎右衛の娘ハマと結婚。この頃、矢板武と改名する。 1872年(明治5年) 宇都宮県五大区六小区副戸長、1873年に栃木県第三大区四小区副戸長、1874年に郵便取扱役、1875年に第三大区三小区区長となる。
1879年、第1回栃木県会議員となり、保晃会の幹事を務める。翌年、印南丈作と那須開墾社を創立、幹事となる。1882年、日本鉄道株式会社理事となる。翌年、大水路建設請願のため上京。1885年に那須疏水の起工式および通水式が行われる。
1886年、矢板村会議員となり、矢板駅開設に尽力。1888年、那須開墾社社長を務めていた印南が死去、二代目社長に就任する。
1891年、下野銀行を設立。その2年後には那須開墾社を解散し矢板農場を設立、翌年矢板信用組合を設立する。
1897年、第2回栃木県会議員となり、1898年、下野銀行の頭取となる。矢板銀行を設立する。1904年、日本赤十字社特別社員となり、1907年日光銀行を設立する。1911年、下野新聞社取締役会長となる。
栄典
編集脚注
編集- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1915年11月10日。
参考文献
編集- 西那須野町編『印南丈作・矢板武 ―那須野ヶ原開拓者の生涯―』(西那須野町、1981年)