矢村宏
この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります。 (2023年6月) |
矢村 宏(やむら ひろし、1947年10月27日 - )は、日本の刑事法学者。元裁判官[1]。2009年(平成21年)3月25日より東京高等裁判所部総括判事(第1刑事部)を務め、2012年(平成24年)10月27日に定年退官[1]。退官後に北海学園大学法科大学院教授に就任。埼玉県生まれ。東京都育ち。
裁判官としては2009年(平成21年)6月、足利事件の再審請求即時抗告審において、東京高等裁判所の裁判長として再鑑定結果の信用性を認めた上で当時の自白の信用性を否定し、再審開始決定を出したことなどで知られる(後述)。
異動履歴
編集伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。 |
東京都立小山台高等学校、東京大学法学部卒業後は1972年(昭和47年)4月に第26期司法修習生、1974年(昭和49年)4月12日に東京地方裁判所判事補任官[1]。判事補任官以降の経歴は以下の通り。
- 1974年(昭和49年)4月12日 - 1977年(昭和52年)4月11日:東京地方裁判所判事補[1]
- 1977年(昭和52年)4月12日 - 1977年(昭和52年)4月30日:東京地方裁判所判事補・東京簡易裁判所判事[1]
- 1977年(昭和52年)5月1日 - 1978年(昭和53年)3月31日:札幌家庭裁判所・札幌地方裁判所判事補、札幌簡易裁判所判事[1]
- 1978年(昭和53年)4月1日 - 1980年(昭和55年)3月31日:札幌地方裁判所・札幌家庭裁判所判事補、札幌簡易裁判所判事[1]
- 1980年(昭和55年)4月1日 - 1982年(昭和57年)2月28日:大阪地方裁判所判事補・大阪簡易裁判所判事[1]
- 1982年(昭和57年)3月1日 - 1982年(昭和57年)3月31日:大阪簡易裁判所判事・大阪地方裁判所判事補[1]
- 1982年(昭和57年)4月1日 - 1984年(昭和59年)3月26日:最高裁判所事務総局刑事局付・東京簡易裁判所判事[1]
- 1984年(昭和59年)3月27日 - 1987年(昭和62年)3月31日:裁判所書記官研修所教官・東京簡易裁判所判事[1]
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 1987年(昭和62年)4月11日:釧路地方裁判所・釧路家庭裁判所部総括判事、釧路簡易裁判所判事[1]
- 1987年(昭和62年)4月12日 - 1989年(平成元年)3月19日:釧路簡易裁判所判事、釧路地方裁判所・釧路家庭裁判所部総括判事[1]
- 1989年(平成元年)3月20日 - 1989年(平成元年)3月31日:裁判所書記官研修所教官・東京簡易裁判所判事[1]
- 1989年(平成元年)4月1日 - 1993年(平成5年)3月31日:裁判所書記官研修所教官・裁判所書記官研修所事務局長、東京簡易裁判所判事[1]
- 1993年(平成5年)4月1日 - 1995年(平成7年)3月31日:東京地方裁判所判事・東京簡易裁判所判事[1]
- 1995年(平成7年)4月1日 - 1999年(平成11年)3月31日:札幌地方裁判所部総括判事(刑事第2部)[1]
- 1999年(平成11年)4月1日 - 2003年(平成15年)3月31日:横浜地方裁判所部総括判事(第2刑事部)[1]
- 2003年(平成15年)4月1日 - 2004年(平成16年)12月26日:横浜地方裁判所川崎支部長・横浜家庭裁判所川崎支部長[1]
- 2004年(平成16年)12月27日 - 2007年(平成19年)3月30日:函館地方裁判所長兼函館家庭裁判所長[1]
- 2007年(平成19年)3月31日 - 2009年(平成21年)3月24日:札幌高等裁判所部総括判事(刑事部)[1]
- 2009年(平成21年)3月25日 - 2012年(平成24年)10月26日:東京高等裁判所部総括判事(第1刑事部)[1]
- 2012年(平成24年)10月27日 定年退官[1]
- 2013年(平成25年)4月 北海学園大学大学院法務研究科教授
- 2018年(平成30年)11月 瑞宝重光章受章[2]。
- 2024年(令和6年)4月 大学院法務研究科廃止により北海学園大学退任、大学院法学研究科法務特任教授[3]。
主な担当訴訟
編集- 横浜地裁判事として
- 札幌高裁部総括判事として
- 2008年(平成20年)5月28日、北海道庁爆破事件で死刑判決が確定した大森勝久死刑囚(死刑確定者)の再審請求即時抗告審で「弁護側の新証拠は信用性に乏しい」として再審請求を棄却した札幌地裁の決定を支持し、即時抗告を棄却した[6]。
- 2009年(平成21年)1月29日、札幌市中央区などで発生した連続女性暴行事件で強盗強姦などの罪に問われた被告人に対し懲役30年とした一審・札幌地裁の判決を支持、量刑不当として無期懲役を求めた検察側の控訴を棄却した[7]。
- 東京高裁部総括判事として
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w “裁判官検索:矢村宏”. 新日本法規WEBサイト. 新日本法規出版株式会社. 2025年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月9日閲覧。
- ^ “平成30年秋の叙勲受章者が発表されました”. 北海学園大学 ホームページ. 北海学園大学 (2018年11月6日). 2025年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年1月9日閲覧。
- ^ 「北海道警による「被疑者ノート」持ち出しは「違法」、捜査の在り方に苦言…原告側は「控訴を検討」」『読売新聞』2024年12月4日。オリジナルの2025年1月9日時点におけるアーカイブ。2025年1月9日閲覧。
- ^ 「横浜事件再審決定 弁護団『これからが始まり』」『東京新聞』2003年4月16日。オリジナルの2003年4月23日時点におけるアーカイブ。2025年1月9日閲覧。
- ^ 『読売新聞』2003年6月2日 全国版 東京夕刊 夕2社18頁「神奈川・藤沢の女性焼死判決 真相見えぬ「無罪」母親「ぼう然とした」」(読売新聞東京本社)
- ^ 「北海道庁爆破・大森死刑囚の即時抗告審、請求を棄却」『読売新聞』2008年5月28日。オリジナルの2008年5月28日時点におけるアーカイブ。2025年1月9日閲覧。
- ^ 「元消防士に2審も懲役30年 札幌の連続女性暴行」『共同通信』2009年1月29日。オリジナルの2015年7月8日時点におけるアーカイブ。2025年1月9日閲覧。
- ^ 「【足利事件】菅家さん再審開始決定 東京高裁 (1/2ページ)」『MSN産経ニュース』2009年6月23日。オリジナルの2009年6月26日時点におけるアーカイブ。2009年6月23日閲覧。
- ^ 「【足利事件】菅家さん再審開始決定 東京高裁 (2/2ページ)」『MSN産経ニュース』2009年6月23日。オリジナルの2009年6月27日時点におけるアーカイブ。2009年6月23日閲覧。
- ^ 「足利事件:再審決定要旨」『毎日新聞』2009年6月24日。オリジナルの2009年6月28日時点におけるアーカイブ。2025年1月9日閲覧。
- ^ 「大分コンサル脱税、2審も実刑 ◯◯被告の控訴棄却」『日本経済新聞』2011年1月26日。オリジナルの2025年1月3日時点におけるアーカイブ。2025年1月3日閲覧。
外部リンク
編集
|
|
|