矢川徳光
矢川 徳光(やがわ とくみつ、1900年11月26日 - 1982年2月23日)は、日本の教育学者。ソビエト教育学研究会会長[注釈 1][注釈 2]。
人物情報 | |
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生誕 |
1900年11月26日 日本長崎県長崎市 |
死没 | 1982年2月23日 (81歳没) |
出身校 | 京都帝国大学 |
学問 | |
研究分野 | 教育学 |
研究機関 | 日本大学 |
経歴
編集1900年、長崎県長崎市に生まれた。1919年、旧制山口高等学校に入学。1926年、京都帝国大学文学部英文学科を卒業。戦前は日本大学工学部予科教授などをつとめた。英語教育に携わる傍ら、科学読物の英和注釈本などの出版を通して、科学教育の実践を試みた。独学でロシア語を習得し、ソビエト教育理論や実践を紹介した。
太平洋戦争後は、教育学者として民間教育運動の理論的指導者として活躍した[1]。学界では1960年以降、ソビエト教育学研究会会長をつとめた。1982年に死去。
家族・親族
編集論文
編集- 「ロバート・オーエンの教育思想とその継承者」『横浜市立経専研究論叢』第35号 1948
- 「オウエンの再評価―特にペスタロッチーと対比して」『教育と社会』第3巻 12号 1948、第4巻 1号 1949、第4巻 2号 1949
- 「ソ連邦の綜合技術教育―ポリテクニズムの歴史と意義」『教育』第3巻 3号 1949
- 「『学校ソヴエト』にちなんで」『教育と社会』第4巻 7号 1949
- 「新島繁編「社会科学文献解題・哲学教育篇」―教師のための書評」『教育』第3巻 6号 1949
- 「福井研介著『ソヴエトの教育制度』」『教育』第3巻 8、9号 1949
- 「『コア・カリキュラム論』批判」『理論』第3巻 11号 1949
- 「明石プランの目標」『6・3教室』第3巻 12号 1949
- 「アメリカ教育とテクノロジー―オルセン編『学校と共同社会』について」『アメリカ研究』第5巻 1号 1950
- 「『ごっこ教育』に反対する―『ごっこ遊び』の課題」『6・3教室』第4巻 3号 1950
- 「ロシヤ教育科学アカデミヤの活動―世界への窓」『6・3教室』第4巻 3号 1950
- 「春の木枯し」『社会と学校』第4巻 4号 1950
- 「『ソヴェト教育学』誌の輪廓」『6・3教室』第4巻 4号 1950
- 「社会科の存在理由」『社会科研究』第3巻 7号 1950
- 「きびしい教育学」『6・3教室』第4巻 8号 1950
- 「人格改造の心理学」『6・3教室』第4巻 10号 1950
- 「ソヴェト教育学の論集」『6・3教室』第4巻 11号 1950
- 「ソ連における児童学批判について」『児童心理』第5巻 1号 1951
- 「ソヴエト教育の思潮」『理想』第215号 1951
- 「テストと『コペルニクス転回』」『社会と学校』第5巻 3号 1951
- 「日本の独立と教育」『改造』第32巻 10号 1951
- 「平和の教育・戦争の教育―日本反動化の土台・教育」『理論』第17号 1951
- 「基礎学力と生活教育(鼎談)」(海後勝雄、国分一太郎と)『カリキュラム』第35号 1951
- 「平和のための道徳教育」『改造』第33巻 20号 1952
- 「ソヴエト学校の平和教育」『6・3教室』第6巻 2号 1952
- 「道徳教育の淵源」『唯物論者』第2巻 2号 1952
- 「民主々義と権威」『児童心理』第6巻 3号 1952
- 「ソヴェト同盟の教育」『社会学評論』第2巻 4号 1952
- 「世界教員会議拾遺」『日本文学』第2巻 9号 1953
- 「近代日本の教育構造」『改造』第34巻 4号 1953
- 「世界教員会議の意義―国際的統一行動のために」『教育』第3巻 8号 1953
- 「ソ同盟の歴史教育」『歴史教育』第1巻 3号 1953
- 「教師のあり方」『部落』第49号 1953
- 「アントン・セミヨーノヴィチ・マカレンコ『愛と規律の家庭教育』」『新しい学校』第6巻 2号 1954
- 「A.S.マカレンコ」『理想』第253号 1954
- 「海後勝雄、広岡亮蔵共編『近代教育史1・2』」『教育』第4巻 9号 1954
- 「梅根悟著『問題解決学習』」『教師の友』第6巻 1号 1955
- 「大衆的討論を求む」『教師の友』第6巻 3号 1955
- 「ソヴェト学校のサークル活動」『教育技術』第10巻 4号 1955
- 「海後勝雄著『教育科学入門』について」『教育史研究』第1号 1955
- 「ゆがめられて行く日本の教育―『教科書問題』が意味するもの」『部落』第6巻 10号 1955
- 「教育研究運動の前進のために」『前衛』第111号 1955
- 「ソヴエト学校の通知簿」『児童心理』第9巻 12号 1955
- 「梅根悟著『世界教育史』」『教育』第6巻 2号 1956
- 「ソ連における愛国心の教育」『社会教育』第11巻 5号 1956
- 「新教委法と学校図書館」『学校図書館』第67号 1956
- 「ソヴエト教育学の状況と課題」『教育』第6巻 6号 1956
- 「教育学への照明(1)―パヴロフ学説と教育-6-」『教育』第6巻 10号 1956
- 「教育学への照明(2)―パヴロフ学説と教育-7-」『教育』第6巻 11号 1956
- 「子ども時代の理想と現実」『児童心理』第10巻 11号 1956
- 「指導と創造―特集・文化問題と日本共産党」『前衛』臨時増刊号 1957
- 「第2回世界教員会議のために」『教師の友』第57号 1957
- 「わたしの教育研究生活」『教育』第7巻 12号 1957
- 「市民教育と国民教育とについて―主集・市民とは何か」『都市問題』第49巻 1号 1958
- 「ソ連の理科教育―特集・理科教育」『児童心理』第12巻 3号 1958
- 「教育学の転換(上)(下)」『前衛』第142、143号 1958
- 「M.クライン他著『社会主義道徳論』」『教師の友』第66号 1958
- 「社会主義社会における政治と教育」『教育』第8巻 12号 1958
- 「友をしのぶ」『近代』第0巻 1958
- 「エム・ア・ダニロフ他『教授学』-上・下-大橋精夫、矢川訳」『教育』第9巻 8号 1959
- 「手と頭との統合を―技術と人間形成―特集・教育実践と技術革新」『教育』第10巻 9号 1960
- 「真実の民主教育(学校運営についての論点)」『文化と教育』第12巻 2号 1961
- 「今日における教育の仕事(1)(2)(教育観の探究I)」(鴻巣良雄、本間繁輝、益田勝実と共著)『日本文学』第10巻 3号、9号 1961
- 「全ロシヤ教員大会―海外事情―特集・教育実践と子どものからだ」『教育』第11巻 5号 1961
- 「ソビエト教育学における決定論の方法論的意義について」『日本教育学会大會研究発表要項』第20巻 1961
- 「研究の今日的視点」『日本教育学会大會研究発表要項』第20巻 1961
- 「クループスカヤ―民主教育の光をかかげた人びと-10-」『教育評論』第120号 1962
- 「日本教育学会の動向―特集・憲法教育の盲点」『教育』第12巻 5号 1962
- 「日本国憲法三原則の視点から」『日本教育学会大會研究発表要項』第21巻 1962
- 「国民教育運動とインタナショナリズム」『文化評論』第13号 1962
- 「科学と教育とはどのようにかかわりあうか―大槻健氏の批判にこたえた、上田薫氏の論文(『教育』1962年10、11月号)をめぐって」『教育』第13巻 1号 1963
- 「柳久雄著『生活と労働の教育思想史』」『教育学研究』第30巻 1号 1963
- 「集団主義教育の思想性」『教育』第13巻 7号 1963
- 「国民教育運動という視点から」『日本教育学会大會研究発表要項』第22巻 1963
- 「在日朝鮮人民族教育の誇り」『文化評論』第26号 1963
- 「マンパワー政策に奉仕する「教育運動」論」『前衛』第222号 1964
- 「共産主義建設と倫理学の課題」『唯物論研究』第17号 1964
- 「「期待される人間像」とはだれのものか」『文化評論』第42号 1965
- 「国分一太郎の思想の貧困--村山俊太郎と対比して」『前衛』第244号 1966
- 「在日朝鮮人の「民主主義的民族教育」とはなにか」『文化評論』第57号 1966
- 「「期待される人間像」の最終報告批判」『文化評論』第62号 1966
- 「戦後教育の問題点と最近の教育反動」『文化評論』第65号 1967
- 「第1回日朝教育問題全国研究集会にちなんで」『文化評論』第68号 1967
- 「北朝鮮の教師と教育」『教育』第17巻 12号 1967
- 「新学習指導要領案の反動性と民間教育研究運動の課題」『文化評論』第83号 1968
- 「教育と生活の結合―ソビエト教育学のばあい」『教育』第18巻 11号 1968
- 「教育研究運動の発展と教育反動--全国教研熊本集会によせて」『労働・農民運動』第34号 1969
- 「重厚で緻光な思想者の思考―勝田守一著『教育と認識』」『教育』第19巻 5号 1969
- 「初等・中等教育改革基本構想試案の論理」『教育学研究』第37巻 4号 1970
- 「わが教師論―日本の教師と憲法=教育基本法体制」『文化評論』第101号 1970
- 「国民教育運動の発展路線」『現代教育科学』第13巻 2号 1970
- 「「わが教師論」への批判にこたえる」『文化評論』第105号 1970
- 「宗像氏の仕事と人」『国民教育』第6号 1970
- 「心理学的認識と教育学的認識―「マルクス主義教育学試論」への補論」『季刊科学と思想』第4号 1972
- 「全面発達の概念をめぐって―学習ノートにひろう」『国民教育』第15号 1973
- 「ソビエト教育学と「科学の基本」」『国民教育』第17号 1973
- 「国際連帯と教育」『国民教育』第18号 1973
- 「レーニンの教育観とモラル」『季刊科学と思想』第11号 1973
- 「教育上の国民的課題によせる」『文化評論』第151号 1974
- 「共産党応援記」『文化評論』第158号 1974
- 「一不可知論者についての弁」『現代と思想』第17号 1974
- 「教育学研究の方法論 マルクス主義教育学の立場から」『日本教育学会大會研究発表要項』第33巻 1974
- 「同和教育と八鹿高校の生徒たち―『八高11・22その日(第1集)』を読んで」『日本の科学者』第10巻 2号 1975
- 「但馬の「夜と霧」―八鹿高校集団リンチ事件」『民主文学』第111号 1975
- 「教育と集団的発達の思想」『季刊科学と思想』第16号 1975
- 「「解同」朝田派の人間冒涜と民主教育の基本―八鹿高校の教育実践にもふれて」『文化評論』第167号 1975
- 「人格の構造と発達」『国民教育』第25号 1975
- 「活動のなかでの能力・人格の発達と教育」『日本教育学会大會研究発表要項』第34巻 1975
- 「人格心理学・人格教育学の諸問題-上、中、下-ソ連における最近の動向」『教育』第26巻 10、11、12号 1976
- 「「教育の力」に思う」『文化評論』第189号 1977
- 「新しい世代の人間形成と戦争体験」『文化評論』第196号 1977
- 「科学者のあゆんだ道―矢川徳光氏に聞く-1、2、3、4-」『日本の科学者』第13巻 1、2、3、4号 1978
- 「「一旦緩急アレハ」」『文化評論』第211号 1977
著書
編集- 『不滅の科学者 ケプラー,ガリレオ,ニュートン』潮文閣 1943
- 『新教育への批判 反コア・カリキュラム論』刀江書院 1950
- 『ソヴエト教育学の展開』春秋社 1950
- 『子供を救え 世界の教育に学ぶ』ナウカ社 1951
- 『日本教育の危機 その本質と克服の方途』新評論社 1953
- 『現代のソヴェト教育学』新評論社 1955
- 『国民教育学 その課題と領域』明治図書出版 1957
- 『ソビエト学校の道徳教育』黎明書房 1958
- 『ソビエト教育学入門』明治図書出版 1960
- 『国民教育学の探求』明治図書出版 1962
- 『ソビエト教育学講話』明治図書出版 1962
- 『マルクス主義教育学試論』明治図書出版 1971
- 『教育とはなにか』新日本新書 1973
- 『矢川徳光教育学著作集』全6巻(青木書店)1973-74
- 『教育研究と私の軌跡』明治図書出版 1975
- 『人格の発達と民主教育』青木書店 1976
翻訳
編集- 『Science and humanity』開隆堂 1932(編集と注釈、英訳)
- トーマスヘンリーハツクスレー『トーマスヘンリーハツクスレー』開隆堂 1933(編集と注釈、英訳)
- Sir J. Arthur Thomson『Introduction to science : selected chapters』開隆堂 1934(編集と注釈、英訳)
- Grove Wilson『ザ・ヒューマンサイド・オブ・サイエンス』文精社 1935
- 『The scientific symposium』三石嚴共訳 開隆堂 1936(編集と注釈、英訳)
- Charles Dickens『The personal history and experience of David Copperfield the younger』開隆堂 1937(編集と注釈、英訳)
- William J. Claxton『Half-hours with great scientists』開隆堂 1938(編集と注釈、英訳)
- G.ウイルソン『大學者傳 文化と技術叢書 第8巻』三笠書房 1939
- サリヴァン『科学の限界』創元社 1941
- T・H・ハックスリ『科學と教養』創元社 1948
- バートランド・ラッセル『科学の眼』創元社 1949
- オードウエイ・テイド『民主主義の新らしい探求』平凡社 1949
- フーストン・ピータースン編『わが偉大なる師 導きを受けし人々の描ける』相良次郎共訳 創元社 1949
- ジャック・バーザン『アメリカ教育の反省』新教育事業協会 1950
- ジョン・ガンサー『死よ驕るなかれ』中野好夫共訳 岩波新書 1950
- ヴェ・エス・シェフキン『デューイ教育学の批判』明治図書出版 1956
- 『マルクス=エンゲルス教育論』編 1956 青木文庫
- ロシアソヴェト連邦社会主義共和国教育科学アカデミヤ編『教育学 教育大学用教科書』明治図書出版 1957
- 『レーニン教育論』松本滋共訳編 1957 青木文庫
- ロシア社会主義共和国教育科学アカデミア編『教授学』明治図書出版 1959
- ヴェ・イェ・グムールマン『学校づくりの規律』新評論 1960
- ア・エス・マカレンコ『集団主義と教育学』訳編 明治図書出版 1960 世界教育学選集
- エリ・ヴェ・ザンコフ編著『授業の分析 教師のコトバと直観教授との結びつき』明治図書出版 1960
- ルナチャルスキー『労働教育論』明治図書出版 1960 世界教育学選集
- ゴンチャロフ『教育理論と学校改革』訳編 明治図書出版 1962
- ベ・ゲ・アナニエフ, ア・イ・ソロキナ編『ソビエト小学校の教授と訓育』明治図書出版 1962
- ヤロスラフ・エングスト『科学としての倫理学 その方法論的探求』明治図書出版 1964
- 『レーニン教育論大系』共訳 明治図書出版 1966
- イア・カイーロフ主監『教育学 ソビエトの教科書』新訂版 明治図書出版 1974 海外名著選
- エム・ア・ダニロフ、ベペ・イェシポフ『教授学』明治図書出版 1974
これらの他にロシア共和国教育科学アカデミー編『ソビエト教育科学アカデミヤ版ソビエト教育科学辞典』明治図書出版、1963をソビエト教育学研究会が編訳。編訳者代表を矢川が務めている。
記念論集
編集- 『ソビエト教育学研究 矢川徳光還暦記念論文集』ソビエト教育学研究会編 明治図書出版 1961
脚注
編集注釈
編集- ^ ソビエト教育学研究会、略称ソ教研発足の経緯は、以下の通り。
矢川は戦前1920年頃に原資料に当たり本格的なソビエト教育学の研究を開始。戦後の該当研究にも主導的な役割を果たし、ソビエト教育学の体系的紹介に努めた。また、その成果を主体的に日本の教育現実の中で活かすことを試みた。矢川の還暦記念祝賀会を一つの契機として、1960年12月19日にソビエト教育学研究会が発足。発会式に先立ち全国の100名近くの人々に案内を送付。80余名の申し込みを得た。また、発会式には教育研究者、教師、学生など約30名が参集。東京大学教育学部の五十嵐研究室を事務局とし、活動開始。まず機関紙「ソビエト教育学研究会々報」を発刊。規約設定の前には矢川による7つの提案あり。A―ソ教研は、ソ連邦における教育および教育諸科学の発達、その現状、その見とおしなどの研究を主要な目的とするものです。ソ教研の会員が、その研究上、どのような方法論的立場に立つかは、まったく各自の自由にまかせましょう。B―ソ教研は、中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、その他、東欧の社会主義諸国の教育および諸科学をも研究の領域に加えて、社会主義のもとでの教育はどのようなものであるべきかを探求したいものです。C―ソ教研は、資本主義諸国で生まれているマルクス主義的な教育諸科学の研究にも意を用いていきたいものです。D―ソ教研は、その研究成果を、研究発表会、普及講座、出版物などをとおして、発展していくべきでしょう。その研究および発表のスタイルのうえでは、建設的な性質の相互援助や相互批判が大切だと思われます。E―ソ教研は、教育諸科学の科学性を探究するとともに、その活動をとおして、日本における民主主義的な国民教育を創造するという事業に貢献するものとなりたいものです。F―ソ教研はいわゆる専門的研究家だけでなくて、以上のような精神に賛同される教授、教師、その他の人びとも会員として参加できるようにしたいものです。そのさい、ロシヤ語が読めるかどうかは、必須条件ではなかろうと思われます。G―ソ教研は随時に「会報」をだして会員のあいだに研究情報を交換しますが、年に一回は全国的な研究集会をもちたいものです。1961年9月には、日本教育学会の大会最終日に、第1回のソビエト教育学研究会総会を開催。1962年1月より1967年3月まで研究誌『ソビエト教育科学』全28号を刊行した。「ソビエト教育学研究会の動向」明治図書出版『ソビエト教育科学』第1号、1962年 pp.136-137 - ^ 研究会規約は1963年8月28日より施行され、研究会の設置目的は「本研究会は、ソビエト社会主義共和国連邦における教育および教育諸科学を研究し、わが国の教育の理論と実践の発展に寄与することを目的とする。」とされた。明治図書出版『ソビエト教育科学』第12号、1963年 p.146
出典
編集- ^ ハックスリ『科學と敎養』矢川徳光訳、創元文庫、1952年 訳者紹介