真山くみ子
真山 くみ子(まやま くみこ、1916年7月2日 - )は、日本の女優である[1][2][3][4][5][6]。旧芸名は高松 美絵子(たかまつ みえこ)、本名は高橋 美枝子(たかはし みえこ)[1][3][4][5]。1930年代から1940年代にかけての間、新興キネマ現代劇のスター女優として活躍したことで知られる[1]。
まやま くみこ 真山 くみ子 | |
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本名 | 高橋 美枝子 (たかはし みえこ) |
別名義 | 高松 美絵子 (たかまつ みえこ) |
生年月日 | 1916年7月2日(108歳) |
出生地 | 日本 福島県 |
身長 | 167cm |
職業 | 女優 |
ジャンル | 劇場用映画(トーキー)、テレビ映画、ピンク映画(脇役) |
活動期間 | 1935年 - 1968年 |
主な作品 | |
『脱線令嬢』 『たのしき今宵』 『天城心中 天国に結ぶ恋』 |
人物・来歴
編集新興東京のスター
編集1916年(大正5年)7月2日、福島県に生まれる[1][4]。1934年(昭和9年)、旧制・麹町高等女学校(現在の麹町学園女子高等学校)を卒業する[1]。
1935年(昭和10年)、トーキーによる現代劇を製作するスタジオである、日活多摩川撮影所(現在の角川大映撮影所)に入社する[1][3][5]。最初の芸名は「高松美絵子」で、もっとも初期に記録に残る作品は、阿部豊が監督し、日活、協同映画社、太秦発声映画、ゼーオー・スタヂオ、日本ビクター各社が提携して製作した大作『海国大日本』で、広瀬恒美演ずる「松井敏夫」の妹「静子」役であった[2][3][4][5]。同作は、同年5月27日に日活が配給して公開された[3]。満18歳での同作への出演が、真山のスクリーンデビューとなった[1]。167センチメートルという長身と美貌で、日活京都撮影所の大スター俳優大河内伝次郎の目に止まり、時代劇映画『千両礫』での大河内の相手役に抜擢されたが、芝居がおぼつかなく、途中降板の憂き目に遭った[1]。
翌1936年(昭和11年)、新興キネマ(のちに合併して大映、現在の角川書店映像事業部門)に移籍し「真山くみ子」と改名する[1][2][3][4][5]。記録にみられる同社での最初の出演作品は、同年10月9日に公開された、新興キネマ東京撮影所(現在の東映東京撮影所)が製作し、伊奈精一が監督した『小間使日記』で、準主演級の役どころであった[2][3][4][5]。1週間後の同年10月15日に公開された、高田稔の高田プロダクション製作、牛原虚彦監督の『兄の誕生日』では、高田の演じる「兄」の妹役で高田に次ぐ主演であった[3]。以降、1941年(昭和16年)11月13日に公開された、同社での最後の作品にあたる深田修造監督の『太陽先生』にいたるまで、大作や山路ふみ子らの主演作以外では、ほとんどが主演か立松晃、宇佐美淳、清水将夫、若原雅夫ら主演俳優の相手役を務め、新興キネマ現代劇のスター女優でありつづけた[1][2][3][4][5]。
1942年(昭和17年)、戦時統制のため、新興キネマが大都映画や日活の製作部門と合併し、大映を形成すると、真山はそのまま在籍し、戦時中で日本全体の製作本数の減るなか、島耕二監督の『山参道』(同年)、小石栄一監督の『八処女の歌』(同年)、沼波功雄監督の『結婚命令』(1943年)等で主演を果たすことが出来た[2][3][4][5]。
脇役女優として
編集1945年(昭和20年)8月15日の第二次世界大戦終了後、初めて出演した映画は、翌1946年(昭和21年)1月10日に公開された田中重雄監督の『幾山河』、主演作であった[2][3][4][5]。同作は終戦後に映画配給を始めた大映が配給した作品であったが、本作をもって大映を退社した[1]。以降、真山は3年のブランクを経て、1949年(昭和24年)3月1日に公開された、芸研プロダクション製作、クラタ・フミンド監督の『殿様ホテル』でふたたびスクリーンに登場した[1][2][3][4][5]。真山は満32歳になっていた。1950年(昭和25年)10月28日に公開された、大映時代の『結婚命令』(1943年)以来7年ぶりの顔合わせの沼波功雄監督のオムニバス映画『東京十夜』では、おなじ日活多摩川撮影所出身であり、かつて新興キネマ東京撮影所での『脱線令嬢』(監督曽根千晴、1937年)でフィアンセ役で共演して以来、『たのしき今宵』(監督伊奈精一、1938年)、『乙女ごころ』(同)、『結婚真剣勝負』(監督沼波功雄、同年)等、共演作も多かった立松晃と、ふたたび共演している[2][3][4][7]。この時期は、伊賀山正徳、原千秋といった、かつての新興キネマ東京撮影所(当時の太泉スタジオ)と関係のあった監督と、少ない仕事をしていたが、『東京十夜』が最後の主演作となった[2][3][4][5]。
1953年(昭和28年)12月28日に公開された、斎藤寅次郎監督の『初笑い寛永御前試合』以降は、新東宝を中心に脇役俳優として、母親役等を大いにこなした[2][3][4][5]。1955年(昭和30年)からは新東宝専属となり、1957年(昭和32年)からはテレビ映画にも進出した[1][6]。1958年(昭和33年)1月26日に公開された石井輝男監督の『天城心中 天国に結ぶ恋』では、前年の暮れに起きたばかりの「天城山心中」を扱う物語のなかで、嵯峨浩にあたる「王氏夫人・治子」の役を演じた[2][3][4]。新東宝での出演は、1960年(昭和35年)1月23日に公開された、小林悟監督の『危険な誘惑』が最後になり、同年退社した[1][2][3][4][5]。
『芸能人物事典 明治大正昭和』には、1963年(昭和38年)4月14日に公開された、近江俊郎監督の『その結婚異議あり』に出演後、引退したように記されているが[1]、同年夏から秋にかけて、テレビ映画『愛より愛へ』に出演している[6]。確かにテレビ出演もそれが最後になり[6]、1964年(昭和39年)以降は、当時盛んであった成人映画、いわゆるピンク映画に、母親役等で出演をするようになった[2][3]。三田浩が代表取締役を務める東京企画[8][9]製作の作品を中心に出演した[2][3]。満52歳になり、1968年(昭和43年)10月に公開された沢賢介監督の成人映画『夜の寄生虫』(『寄生虫』)に出演して以降は、活動の記録がみられなくなった[2][3][4][5]。同作以降に引退したものとされ、以降の消息も不明である[2][3][4][5]。存命であれば、満108歳の高齢である[1][4]。
作品の現在
編集2012年(平成24年)7月現在、東京国立近代美術館フィルムセンターは、真山の出演した作品のうち、『若妻』(監督伊奈精一、1939年)、『情熱の翼』(『熱情の翼』、監督小石榮一、1940年)、『真人間』(監督伊奈精一、同年)、『激流』(監督小石榮一、同年)、『北極光』(監督田中重雄、1941年)、『山参道』(監督島耕二、1942年)、『八処女の歌』(監督小石栄一、同年)、『新己が罪』(監督毛利正樹、1956年)、『夜の寄生虫』(『寄生虫』、監督沢賢介、1968年)の9作の上映用プリント等を所蔵している[5]。
フィルモグラフィ
編集文化庁「日本映画情報システム」、および日本映画データベース、キネマ旬報映画データベース、東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵映画フィルム検索システム、テレビドラマデータベースに掲載されている出演作の一覧である[2][3][4][5][6]。役名のないものもすべて出演作、初期の特筆以外、すべて「真山くみ子」名義での出演である。
- 1935年
- 『海国大日本』 : 監督阿部豊、製作日活/協同映画社/太秦発声映画/ゼーオー・スタヂオ/日本ビクター、配給日活、1935年5月27日公開 - 「高松美絵子」名義、「松井妹・静子」役
- 『人生天気予報』 : 監督清瀬英次郎、製作日活多摩川撮影所、配給日活、1935年9月12日公開 - 「高松美絵子」名義
- 『千両礫』 : 監督稲垣浩、製作日活京都撮影所、配給日活、1935年10月1日公開 - 「高松美絵子」名義(途中降板)[1]
- 1936年
- 『小間使日記』 : 監督伊奈精一、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1936年10月9日公開 - 「奥様の姪愛子」役
- 『兄の誕生日』 : 監督牛原虚彦、製作高田プロダクション、配給新興キネマ、1936年10月15日公開 - 「人見千枝子、桂子の親友益美」の二役
- 『やきもち会議』 : 監督小石栄一、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1936年12月12日公開 - 「源太郎の後妻お澄」役
- 『美人国のぞ記』 : 監督伊奈精一、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1936年12月31日公開 - 「エアガール」役
- 1937年
- 『脱線令嬢』 : 監督曽根千晴、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1937年1月7日公開 - 「良一の許婚足立絹子」役
- 『牡丹くづるゝ時』 : 監督小石栄一、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1937年3月6日公開 - 「収一の義妹夏子」役
- 『青空士官』 : 監督落合吉人、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1937年6月3日公開 - 「その娘静子」役
- 『女性の勝鬨』 : 監督曽根千晴、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1937年7月14日公開 - 「富子」役
- 『女同士』 : 監督西鉄平、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1937年7月22日公開 - 「坂本香代」役
- 『皇軍一度起たば』 : 監督西鉄平・上野真嗣・上砂泰蔵、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1937年8月26日公開 - 「葉子」役
- 『美しき鷹』 : 監督田中重雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1937年10月1日公開 - 「池野子爵の娘雅子」役
- 『白き手の人々』 : 監督西鉄平、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1937年12月3日公開 - 「辰兵衛の娘絢子」役
- 『鉄拳涙あり』 : 監督伊奈精一、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1937年12月24日公開 - 「小杉雪枝」役
- 1938年
- 『女は嘆かず』 : 監督曽根千晴、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1938年2月3日公開 - 主演「元ダンサー結城澄子」役
- 『娘天晴れ』 : 監督青山三郎、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1938年3月23日公開 - 主演「庄吉の長女君江」役
- 『泣くな鷗よ』 : 監督住吉健嗣、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1937年4月8日公開
- 『母の魂』 : 監督田中重雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1938年4月14日公開 - 「お糸の妹娘静子」役
- 『たのしき今宵』 : 監督伊奈精一、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1938年6月8日公開 - 主演「隆介の妹路子」役
- 『愛の響宴』 : 監督久松静児、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1938年6月30日公開 - 主演「俊策の姉娘美知子」役
- 『結婚真剣勝負』 : 監督沼波功雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1938年7月13日公開 - 主演「八郎の娘美枝」役
- 『妻の魂』 : 監督曽根千晴、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1938年8月4日公開 - 「芸者染香」役
- 『揺籃の歌』 : 監督青山三郎、製作新興キネマ京都撮影所、配給新興キネマ、1938年8月20日公開 - 主演「春日弥生」役
- 『乙女ごころ』 : 監督伊奈精一、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1938年8月31日公開 - 主演「絹江の友人和田葉子」役
- 『親なればこそ』 : 監督沼波功雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1938年9月29日公開
- 『亜細亜の娘』 : 監督田中重雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1938年11月17日公開 - 「メトロポールのダンサー」役
- 『喧嘩の春』 : 監督沼波功雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1938年12月25日公開 - 「伝助の長女菊江」役
- 『春雨の夜に別れたり』 : 監督伊奈精一、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1938年公開 - 主演「百貨店の女店員川島早苗」役
- 1939年
- 『評判五人娘』 : 監督久松静児、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年1月7日公開 - 「魚屋の女主人須藤仙子」役
- 『母子船頭唄』 : 監督青山三郎、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年1月14日公開 - 「その妻お由」役
- 『嵐に立つ女』 : 監督青山三郎、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年3月15日公開 - 主演「大森由紀子」役
- 『女の魂』 : 監督久松静児、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年4月1日公開 - 「本宮千夜子」役
- 『人生双六より あわてた友情』 : 監督沼波功雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年4月25日公開 - 主演「久三郎の娘珠江」役
- 『侠艶録』 : 監督田中重雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年5月1日公開 - 「富士雄の許婚雪江」役
- 『愛憎の書』 : 監督久松静児、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年5月18日公開 - 主演「タイピスト藤田扶久子」役
- 『海棠の歌』 : 監督深田修造、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年6月15日公開 - 主演「芸者原田綾子」役
- 『結婚問答』 : 監督田中重雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年6月28日公開 - 「樫村銀子」役
- 『男一匹』 : 監督久松静児、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年7月12日公開 - 主演
- 『若妻』 : 監督伊奈精一、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年8月1日公開(フィルムセンター所蔵[5]) - 主演「その妻安子」役
- 『模範孝女の殺人』 : 監督青山三郎、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年8月13日公開 - 主演「富士子」役
- 『涙痕』 : 監督田中重雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年9月14日公開 - 主演「素人下宿屋の娘和田春江」役
- 『母』 : 監督田中重雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年10月12日公開 - 「芸者浜子」役
- 『長脇差団十郎』 : 監督牛原虚彦、製作新興キネマ京都撮影所、配給新興キネマ、1939年11月1日公開 - 主演「三右衛門の娘お藤」役
- 『若い力』 : 監督小石栄一、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年11月29日公開 - 主演「その恋人青江澄子」役
- 1940年
- 『花園の結婚』 : 監督高木孝一、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1940年1月6日公開 - 主演「浜尾瑛子」役
- 『荒野の妻』 : 監督深田修造、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1940年2月1日公開 - 主演「柳橋の芸者お島」役
- 『情熱の翼』(『熱情の翼』) : 監督小石榮一、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1940年2月14日公開(フィルムセンター所蔵[5]) - 「半蔵の秘書・夏川ユリ子」役
- 『家庭の秘密 前篇』 : 監督田中重雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1940年3月14日公開 - 主演「重興の娘首藤美仁子、喫茶店のレジスター江木静子」二役
- 『家庭の秘密 後篇』 : 監督田中重雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1940年3月31日公開 - 主演「重興の娘首藤美仁子、喫茶店のレジスター江木静子」二役
- 『嘆きの花傘』 : 監督久松静児、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1940年6月30日公開 - 主演「小政の娘政代」役
- 『光に立つ』 : 監督曽根千晴、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1940年7月31日公開 - 主演「久男の妹輝子」役
- 『真人間』 : 監督伊奈精一、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1940年9月15日公開 (フィルムセンター所蔵[5])- 主演「賢一の姪品江」役
- 『良人なきあと』 : 監督曽根千晴、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1940年10月31日公開 - 主演「江原美奈子」役
- 『激流』 : 監督小石榮一、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1940年11月14日公開(フィルムセンター所蔵[5]) - 主演「小川綾子」役・主題歌『綾子の唄』歌唱
- 1941年
- 『裸一貫』 : 監督萩野頼三、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1941年1月9日公開 - 主演「前田駒子」役
- 『白夜の天使』 : 監督田中重雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1941年1月14日公開 - 主演「看護婦小牧桂子」役
- 『新生の歌』 : 監督沼波功雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1941年2月28日公開 - 主演「駿一の娘松波八重子」役
- 『猛獣使ひの姉妹』 : 監督深田修造、サーカスシーン監督萩野頼三、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1941年3月29日公開 - 主演「くみ子ことクミちゃん」役
- 『素晴らしき結婚』 : 監督沼波功雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1941年6月22日公開 - 主演「その一人娘君子」役
- 『北極光』 : 監督田中重雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1941年8月20日公開(フィルムセンター所蔵[5]) - 「お米(酌婦)」役
- 『春星夫人』 : 監督田中重雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1941年9月28日公開 - 「二郎の妻とめ子」役
- 『太陽先生』 : 監督深田修造、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1941年11月13日公開 - 主演「四竈万寿子」役
- 1942年 - 1944年
- 『山参道』 : 監督島耕二、製作大映第二撮影所、配給社団法人映画配給社、1942年6月4日公開(フィルムセンター所蔵[5]) - 主演「おうる」役
- 『八処女の歌』 : 監督小石栄一、製作大映第一撮影所、配給社団法人映画配給社、1942年8月27日公開(フィルムセンター所蔵[5]) - 主演
- 『豪傑系図』 : 監督岡田敬、製作大映第一撮影所、配給社団法人映画配給社、1942年10月15日公開 - 主演
- 『虚無僧系図』 : 監督押本七之輔、製作大映第一撮影所、配給社団法人映画配給社、1943年1月8日公開 - 「嘯々の妹お寿々」役
- 『暖き風』 : 監督大庭秀雄、製作松竹京都撮影所、配給社団法人映画配給社、1943年6月24日公開
- 『結婚命令』 : 監督沼波功雄、製作大映第一撮影所、配給社団法人映画配給社、1943年8月26日公開 - 主演「萩原真琴」役
- 『出征前十二時間』 : 監督島耕二、製作大映東京撮影所、配給社団法人映画配給社、1943年12月1日公開
- 『モンペさん』 : 監督田中重雄、製作大映東京撮影所、配給社団法人映画配給社、1944年1月8日公開 - 「平岡トシコ」役
- 1946年 - 1949年
- 『幾山河』 : 監督田中重雄、製作新興映画、配給大映、1946年1月10日公開 - 主演
- 『殿様ホテル』 : 監督クラタ・フミンド、製作芸研プロダクション、配給東宝、1949年3月1日公開 - 主演
- 『愁海棠』 : 監督中村登、製作松竹大船撮影所、配給松竹、1949年8月8日公開 - 「くに子」役
- 『花の日月』 : 監督久松静児、製作大映東京撮影所、配給大映、1949年9月4日公開 - 「駒代」役
- 1950年代
- 『東京十夜』 : 監督沼波功雄、製作秀映社、配給東京映画配給、1950年10月28日公開 - 主演
- 『湯の町情話』 : 監督伊賀山正徳、製作新映画/大映、配給大映、1951年8月17日公開 - 「お常」役
- 『高原の悲歌』 : 監督原千秋、製作東京プロダクション/ニューカレントプロダクション、配給東映、1952年3月14日公開
- 『初笑い寛永御前試合』 : 監督斎藤寅次郎、製作・配給新東宝 - 「お定」役、1953年12月28日公開
- 『花祭底抜け千一夜』 : 監督斎藤寅次郎、製作・配給新東宝、1954年2月17日公開 - 「栄子」役
- 『宝さがし百万両』 : 監督斎藤寅次郎、製作・配給新東宝、1954年5月3日公開 - 「おくみ」役
- 『鳴門秘帖 後篇』 : 監督渡辺邦男、製作東映京都撮影所、配給東映、1954年5月31日公開 - 「四国屋お久良」役
- 『犬神家の謎 悪魔は踊る』 : 監督渡辺邦男、製作東映東京撮影所、配給東映、1954年8月10日公開 - 「犬神梅子」役
- 『息子一人に嫁八人』 : 監督志村敏夫、製作・配給新東宝、1955年12月6日公開 - 「石井ふさ子」役
- 『若人のうたごえ』 : 監督毛利正樹、製作・配給新東宝、1955年12月27日公開 - 「和夫の母時子」役
- 『大学の武勇伝』 : 監督佐伯幸三、製作・配給新東宝、1956年2月26日公開 - 「二号マキ」役
- 『駈出し社員とチャッチャ娘』 : 監督毛利正樹、製作・配給新東宝、1956年3月20日公開 - 「薫子夫人」役
- 『検事とその妹』 : 監督古賀聖人、製作・配給新東宝、1956年5月18日公開 - 「待合の女中お春」役
- 『世紀の勝敗』 : 監督並木鏡太郎、製作・配給新東宝、1956年9月12日公開 - 「神谷雪江」役
- 『新己が罪』 : 監督毛利正樹、製作・配給新東宝、1956年10月9日公開(フィルムセンター所蔵[5]) - 「大木小夜子」役
- 『金語楼の天晴運転手物語』(『金語楼の天晴れ運転手物語』) : 監督斎藤寅次郎、製作・配給新東宝、1956年10月21日公開 - 「河野房子」役
- 『風雲急なり大阪城 真田十勇士総進軍』 : 監督中川信夫、製作・配給新東宝、1957年2月27日公開 - 「淀君」役
- 『リングの王者 栄光の世界』 : 監督石井輝男、製作・配給新東宝、1957年4月10日公開 - 「母親志づ」役
- 『暖流』 : KRテレビ、テレビ映画、放映時期不明
- 『ここに人あり』第8回『夜明けの歌』 : NHK総合テレビジョン、テレビ映画、1957年6月3日放映
- 『修羅八荒』 : 監督渡辺邦男、製作・配給新東宝、1957年8月13日公開 - 「御後室」役
- 『赤胴鈴之助』全55回 : 原作武内つなよし、脚本松浦健太郎・竹内勇太郎、KRテレビ、連続テレビ映画、1957年10月2日 - 1959年3月25日放映
- 『天城心中 天国に結ぶ恋』 : 監督石井輝男、製作・配給新東宝、1958年1月26日公開 - 「母治子(王氏夫人)」役
- 『不如帰』 : 監督土居通芳、製作・配給新東宝、1958年5月24日公開 - 「妻繁子」役
- 『坊ぼん罷り通る』 : 監督近江俊郎、製作・配給新東宝、1958年8月17日公開 - 「美容院のマダム」役
- 『ワンマン今昔物語』 : 監督近江俊郎、製作・配給新東宝、1959年3月20日公開 - 「佐和子の母」役
- 『貞操の嵐』 : 監督土居通芳、製作・配給新東宝、1959年4月3日公開 - 「母頼子」役
- 『暴力娘』 : 監督曲谷守平、製作・配給新東宝、1959年6月6日公開 - 「二等車の中の女」役
- 『十代の曲り角』 : 監督小林悟、製作・配給新東宝、1959年9月18日公開 - 「村越玉枝」役
- 1960年代
- 『危険な誘惑』 : 監督小林悟、製作・配給新東宝、1960年1月23日公開 - 「一の宮エルザ夫人」役
- 『青春の群像』 : 監督高橋繁夫・中川順夫・小野田嘉幹・葵量太郎・家城巳代治・野崎正郎・岩間鶴夫、製作松竹テレビ室/日本テレビ放送網、連続テレビ映画、1963年1月2日 - 同年9月25日放映
- 『その結婚異議あり』 : 監督近江俊郎、製作パシフィックプロダクション、配給大映、1963年4月14日公開 - 「池田たか」役
- 『愛より愛へ』全130回 : 監督土屋蔵三、東映テレビプロダクション/日本教育テレビ、連続テレビ映画、1963年7月1日 - 同年12月27日放映
- 『夜の誘惑』 : 監督大野裕司、撮影秋山海蔵、製作東京企画、1964年4月14日公開(映倫番号 21942)
- 『女子学生の記録』 : 監督小角高治、撮影長岡隆、製作東京企画、1964年6月公開
- 『女子学生を狙え!』 : 監督難波敏夫、製作東京企画、1965年6月公開
- 『漁色』 : 監督沢賢介、製作三協、配給センチュリー映画社、1965年7月公開 - 「きく子」役
- 『女高生日記』 : 監督斎藤功、製作東京企画、1965年10月公開(映倫番号14222)
- 『未亡人日記』 : 監督沢賢介、製作レンジャー、配給センチュリー映画社、1966年1月公開(映倫番号14324) - 「その母梨江」役
- 『だかれて泣け』 : 監督月森功、製作東京企画、1966年1月公開(映倫番号14310)
- 『異常な体験』 : 監督向井寛、製作日本芸術協会、配給関東ムービー配給社、1966年10月公開(映倫番号14705)
- 『激しい関係』 : 監督東元薫(梅沢薫)、製作日映企画、1967年3月公開
- 『夜の寄生虫』(『寄生虫』) : 監督沢賢介、製作・配給六邦映画、1968年10月公開(映倫番号15515、フィルムセンター所蔵[5])
脚注
編集- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 真山くみ子、jlogos.com, エア、2010年7月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 真山くみ子、日本映画情報システム、文化庁、2012年7月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 真山くみ子、高松美絵子、日本映画データベース、2012年7月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 真山くみ子、キネマ旬報映画データベース、2012年7月12日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 真山くみ子、高松美絵子、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年7月12日閲覧。
- ^ a b c d e 真山くみ子、テレビドラマデータベース、2012年7月12日閲覧。
- ^ 立松晃 - 日本映画データベース、2012年7月12日閲覧。
- ^ 『映画年鑑 1966』、p.513.
- ^ 田中、p.86.
参考文献
編集- 『映画年鑑 1966』、時事映画通信社、1965年12月1日
- 『日本映画発達史 V 映像時代の到来』、田中純一郎、中央公論社、1980年6月18日
- 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月
関連項目
編集外部リンク
編集- Kumiko Mayama - IMDb
- Mieko Takamatsu - IMDb
- 真山くみ子 - 日本映画情報システム (文化庁)
- 真山くみ子、高松美枝子 - 東京国立近代美術館フィルムセンター
- 真山くみ子 - 日本映画製作者連盟
- 真山くみ子 - 日本映画データベース
- 高松美絵子 - 日本映画データベース
- 真山くみ子 - KINENOTE
- 真山くみ子 - allcinema
- 高松美絵子 - allcinema
- 真山くみ子 - テレビドラマデータベース