相馬恕胤
江戸時代中期から後期の大名
相馬 恕胤(そうま もろたね)は、江戸時代中期から後期の大名。相馬氏第24代当主。陸奥相馬中村藩第8代藩主。第6代藩主・相馬叙胤の三男で家督相続前に死去した相馬徳胤の次男。正室は青山幸秀の娘。官位は従五位下、因幡守。
相馬恕胤像(涼ケ岡八幡神社蔵) | |
時代 | 江戸時代中期-後期 |
生誕 | 享保19年11月5日(1734年11月29日) |
死没 | 寛政3年8月14日(1791年9月11日) |
官位 | 従五位下、因幡守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家重→家治 |
藩 | 相馬中村藩 |
氏族 | 相馬氏 |
父母 | 父:相馬徳胤、養父:相馬尊胤 |
妻 | 正室:青山幸秀の娘 |
子 | 信胤、斉胤、祥胤、因胤、肥胤、佐竹義祇正室、織田信浮継室 |
経歴
編集宝暦元年(1751年)1月23日、父・徳胤の嫡子となった。同年2月15日、将軍徳川家重に御目見する。宝暦2年8月4日、祖父・尊胤の嫡子となる。徳胤の死去のためである。同年12月16日、従五位下讃岐守に叙任する。明和2年(1765年)5月21日、尊胤の隠居により、家督を相続した。安永4年(1775年)9月23日、因幡守に遷任。天明3年(1783年)12月2日、隠居し、長門守に遷任。三男・祥胤に家督を譲った。寛政3年(1791年)8月20日、中村において死去、58歳。
系譜
編集父母
正室
- 青山幸秀の娘
側室
- 岩本氏
- 神戸氏
- 坂井氏
子女