相川 義武(あいかわ よしたけ)は、安土桃山時代から江戸時代前期の武士。
もと甲州武士として武田氏に仕え、のち肥前大村氏旗下となり、文禄元年(1592年)文禄の役に出陣する[1]。改宗しキリシタンとなり、肥前彼杵郡形上(現:長崎県長崎市琴海形上町)に住む[1]。子は同郡平原郷(現:長崎県西海市西彼町平原郷)に移住[1]。集落に住む全員がキリシタンとなり相川姓を名乗ったという[1]。
西海市西彼町平原郷には長崎県指定史跡として「西彼町のキリシタン墓碑(2基)」がある[2][3]。