白浜町 (千葉県)
白浜町(しらはままち)は、かつて千葉県安房郡に存在していた町。館山都市圏に属していた。
しらはままち 白浜町 | |||||
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廃止日 | 2006年(平成18年)3月20日[1] | ||||
廃止理由 |
新設合併 富浦町・富山町・三芳村・白浜町・千倉町・丸山町・和田町 → 南房総市[1] | ||||
現在の自治体 | 南房総市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 千葉県 | ||||
郡 | 安房郡 | ||||
市町村コード | 12465-6 | ||||
面積 | 17.07 km2 | ||||
総人口 |
6,027人 (2000年10月1日) | ||||
隣接自治体 | 館山市・千倉町 | ||||
町の木 | ヤブツバキ | ||||
町の花 | ハマユウ | ||||
他のシンボル |
町の鳥:ウミウ 町の魚:イシダイ | ||||
白浜町役場 | |||||
所在地 |
〒295-0192 千葉県安房郡白浜町白浜3467-1 | ||||
外部リンク | 白浜町ウェブサイト | ||||
座標 | 北緯34度54分29秒 東経139度53分57秒 / 北緯34.90819度 東経139.89922度座標: 北緯34度54分29秒 東経139度53分57秒 / 北緯34.90819度 東経139.89922度 | ||||
ウィキプロジェクト |
平成の大合併に伴い2006年(平成18年)3月20日に、同じ安房郡内の富浦町、富山町、三芳村、丸山町、和田町、千倉町と新設合併し、南房総市となったため消滅した[1]。
地理
編集房総半島の最南端に位置する。温暖な気候であるが[2]、2012年(平成24年)2月には露地栽培のキンセンカに凍結被害が発生した[3]。水平線上には伊豆諸島が見渡せる。
当町の沿岸部は海岸段丘が続いており[4]、南端には野島埼灯台が[5]1869年(明治2年)に設置され[6]、町のシンボルとなると共に[7]、海の難所として知られる当町の沿岸を通って東京湾に入る船舶のための目印となっている。
合併前隣接していた自治体
編集- 館山市
- 安房郡:千倉町
「朝夷地区」(あさいちく)は、和田町・丸山町・千倉町・白浜町の計4町一帯の通称名である。
歴史
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により白浜村、乙浜村が合併して朝夷郡白浜村が発足。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 朝夷郡が安房郡に編入。
- 1933年(昭和8年)4月1日 - 町制を施行し白浜町(初代)となる。
- 1954年(昭和29年)3月3日 - 長尾村と合併し、白浜町(2代目)を新設。
- 1994年(平成6年)9月2日 - 群馬県子持村と姉妹都市提携に調印[8]
- 1995年(平成7年)11月 - フローラルホールが完成[9][10]。
- 1997年(平成9年)4月 - 国土庁から「過疎地域」の指定を受ける[11]。
- 2006年(平成18年)3月20日 - 富浦町、富山町、千倉町、丸山町、和田町、三芳村と合併し南房総市を新設[1]。同日白浜町廃止。
産業
編集農業
編集- 花卉 - 露地栽培されるキンセンカは[12]、2002年(平成14年)に全国シェア40%で日本一の産地となっており[13]、正月用などに出荷される[14]。キンセンカは食用花として給食や[15]ケーキ作りにも使われる[16]。
- ソラマメ
漁業
編集海女の素もぐりによる[17]アワビ・天草などの漁が著名である[18][19]。
他にかつては捕鯨も行われており[17]、「くじらのたれ」は素朴な郷土の味として親しまれた[22]。
白浜の海女
編集海女の大半が農業との兼業で現在50歳から60歳代約400人が活躍している。 5月1日から9月10日の解禁日には海に潜り[18][19][23][24][25][26][注釈 1]、アワビ・天草などを採っている[18][19]。漁具はまげ樽(醤油樽のような形で直径30cm、深さ25cmの浮樽で下部に15から20cmの錨網といわれる5mmの丸のロープをつけてある)に、すかし(獲物を入れる網袋)をつけて使用。1日の出漁時間は春には1時間から1時間30分位、夏には2時間から3時間位。潜水は体力により異なるが、大体1回1分から1分30秒ぐらいである。
しかし、アワビの漁獲量の減少が進んだことから[29]、千葉県水産部が当地でアワビの一環養殖の研究に全国で初めて着手し[2]、岩磯の増殖溝で波の力を利用したアワビ増殖や[30]、千葉県がアワビやヒラメなどの稚魚・稚貝の養殖を手掛ける施設を1995年(平成7年)6月に完成させるなど養殖漁業への転換を図っている[31][32]。
7月には海の安全と豊漁を祈願する「白浜海女まつり」が行われ[33]、松明を持つ海女の夜泳[34][35][36][37][38][39][40][注釈 2]、花火大会[42]、子供たちのまつりばやし、白浜音頭の総踊りなどが行われている。その中で海女の恰好に扮して海女らしさで競う海女コンテストがあり、現役の海女だけでなく地元の女性や一般観光客も飛び入り参加できるイベントでもある[43]。
漁港
編集- 乙浜漁港
- 名倉漁港
- 小戸漁港
- 野島漁港
- 川下漁港
- 白浜西部漁港
観光
編集内房線、外房線の電化が完成した頃から、町内にゴルフ場、レジャーランド、老人保養施設などの開発計画が次々と浮上。土地ブローカーが町内に事務所を構え、土地を買いあさる事態となった。白浜町は1972年、町民に対して安易に土地を売らないよう有線放送や地区座談会などを通じて説得を呼び掛けを開始。急激な開発を抑止した[44]。
学校
編集小学校
編集- 白浜町立白浜小学校
- 白浜町立長尾小学校
中学校
編集- 白浜町立白浜中学校
名所・旧跡・観光・祭事・催事
編集名所・旧跡
編集- 野島埼灯台 - 南端に[5]1869年(明治2年)に設置[6]。1998年(平成10年)2月15日に灯台資料展示室「きらりん館」が開館[45]。2000年(平成12年)11月から休館して耐震補強工事を行い[46]、2001年(平成13年)4月1日に新装開館した[47]。
- 長尾藩陣屋跡 - 2000年(平成12年)10月に発掘調査で遺構を確認[48]。
- 下立松原神社
- めがね橋 - 県文化財指定きっかけに[49]、修復を行って1994年(平成6年)4月に修復を完了し[50][51][52]合わせて周辺を整備して公園化することになった[52]。
- 杖珠院
- 白浜温泉
- 白浜音頭発祥の地公園 - 2001年(平成13年)9月29日に除幕[53]。
- 道の駅白浜野島崎 - 2005年(平成17年)8月10日に登録[54]。
祭事・催事
編集交通
編集- 路線バス
- 「南房州本線」 館山駅 - 安房神戸 - 安房白浜駅(JRバス関東)
- 「洲の崎線「フラワー号」」 館山駅 - 坂田 - 洲の崎灯台前 - 伊戸 - 南房パラダイス - 安房自然村 - フラワーパーク - 野島埼灯台 - 安房白浜駅(JRバス関東)※土曜・休日のみ運行
- 「豊房経由白浜線」 館山駅 - 豊房 - 下神余 - 安房白浜駅(館山日東バス)
- 「白浜 - 千倉線」 安房白浜駅 - 白間津 - 安房平磯 - 本千倉 - 千倉駅(館山日東バス)
- 「急行バスくろしお号」 安房白浜駅 - 本千倉 - 南三原駅前 - 南三原郵便局 - 和田浦駅入口 - お花畑 - 江見駅入口 - 安房鴨川駅西口 - 鴨川シーワールド - 亀田病院(館山日東バス)
- 高速バス
ゆかりの人物
編集舞台となった作品
編集※発表年順
- 風来坊探偵 岬を渡る黒い風(1961年)- ドンドン岩でロケ
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d “南房総市が誕生 「一体感ある組織に」 県内最多の7自治体合併 市長、市議選は来月23日投開票 暫定予算を専決処分”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2006年3月21日)
- ^ a b “ご存じですか 房総南部の気候”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年11月14日)
- ^ “キンセンカに凍結被害 全体の2〜3割 黒く変色 南房総市白浜町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 9. (2012年2月18日)
- ^ “ご存じですか 海岸段丘”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年5月27日)
- ^ a b “最南端の石碑 観光客に人気 白浜の野島崎灯台”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (1989年5月24日)
- ^ a b “明治2年初点灯記念し野島埼灯台まつり 初の開催来月18・19日 催し多催”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (1992年11月27日)
- ^ “野島崎灯台まつり始まる 町のシンボル華やかに祝う 一日所長に鮫島さん(白浜中)”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1992年12月19日)
- ^ “相互の発展目指し 白浜町が初の“姉妹”提携 群馬・子持村と調印”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年9月3日)
- ^ “フローラルホール花の町・白浜に完成 図書室やギャラリーも完備”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1995年11月8日)
- ^ “800人収容ホール完成 白浜に多目的施設”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 30. (1995年11月12日)
- ^ “白浜町など追加 国土庁 「過疎地」自治体の38%”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1997年4月2日)
- ^ “キンセンカもうすぐ出荷 南房のお花畑 露地花の生育順調”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (1988年11月21日)
- ^ “キンセンカもうすぐ出荷 南房のお花畑 露地花の生育順調”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2002年1月21日)
- ^ ““大ピンチ”花の里 キンセンカ 日照不足で生育遅れ 正月用 品不足に 千倉・白浜”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1987年11月20日)
- ^ “「キンセンカおいしい」 千倉 学校給食に花の食材”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2008年3月5日)
- ^ “キンセンカで白浜を元気に 手作りシフォンケーキを販売 南房総市”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2011年1月25日)
- ^ a b “絵ハガキが語る 千葉の明治・大正・昭和史 23 白浜の漁業 海女の素もぐりと捕鯨”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 8. (2007年5月12日)
- ^ a b c “テングサ、アワビ漁が解禁 白浜で海女初潜り”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 20. (1991年5月3日)
- ^ a b c “海女漁が解禁 磯明け訪れる 活気づく白浜町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年5月2日)
- ^ “房州地方、冬の風物詩 ハバノリ採り始まる 白浜”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1989年12月19日)
- ^ “房総の海に春の香り ヒジキ漁が解禁 出来は平年並み 安房郡白浜町”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 28. (1990年3月15日)
- ^ 「ひろば 郷土の名産 白浜町 房州の素朴な味 くじらのたれ」『ニューライフちば』第217号、千葉県広報協会、1981年7月、29頁。
- ^ “海女さんたちが初潜り アワビ漁解禁 久々の水揚げにわく 白浜”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1991年5月3日)
- ^ “アワビ漁が解禁 白浜海岸は久々の活気 海女たちが潜り初め”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1992年5月3日)
- ^ “アワビ漁 小雨の中 白浜”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 19. (1994年5月3日)
- ^ “浜風受け海女漁解禁 白浜町 海の“宝石”アワビなど”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2002年5月3日)
- ^ “初夏告げるアワビ漁解禁 海女さんが初潜り 白浜根本海岸沖”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 13. (1988年4月22日)
- ^ “海女さん50人が初潜り 白浜でアワビ漁解禁 内外房のトップを切り”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 14. (1989年4月23日)
- ^ “海女漁が解禁 磯明け訪れる 活気づく白浜町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (1993年1月26日)
- ^ “アワビの増殖溝 白浜町海岸の岩磯に 県が初の試み 波のエネルギーを利用”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 1. (1993年11月12日)
- ^ “「捕る」から「育てる」 中間育成施設が完成 ヒラメ アワビ 白浜町”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 5. (1995年6月25日)
- ^ “中間育成施設が完成 アワビなど資源拡大へ”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 18. (1995年6月8日)
- ^ a b “海の安全と豊漁を祈願 白浜海女まつり開幕”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2000年7月21日)
- ^ “海女さんが夜泳披露 白浜町”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 23. (1988年7月22日)
- ^ “海女さんの夜泳 白浜・海女まつり”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 24. (1988年7月23日)
- ^ “幻想的“海女の夜泳” 白浜名物「光と音のショー」”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1989年7月25日)
- ^ “白浜で海女まつり 幻想的な海女の夜泳 たいまつ手に整然と”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年7月22日)
- ^ “松明かざし海女が夜泳 白浜町で海女まつり 見物人を幻想の世界へ”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年7月22日)
- ^ “波間に光の帯 千葉・白浜「海女まつり」”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 夕刊 14. (1994年7月21日)
- ^ “海面に映える幻想的夜泳 南房総市白浜町 たいまつ手に白装束の海女たち”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2006年7月22日)
- ^ “海女100人が火の祭典 白浜で大夜泳 ワーグナーの曲に乗り”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 29. (1991年7月22日)
- ^ “海辺の町祭り一色 白浜で海女まつり 夜空に大輪の花 1万人、夏本番を“実感””. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1992年7月22日)
- ^ “南房総・白浜でコンテスト ベスト海女に相馬さん”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 9. (2011年7月22日)
- ^ 「開発業者に抵抗 自然破壊に手貸せぬ」『朝日新聞』昭和47年12月6日.23面
- ^ “愛称は「きらりん館」 白浜の野島崎灯台資料展示室”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1998年2月6日)
- ^ “来月から耐震工事 花のシーズンに上れません 白浜町のシンボル「野島埼灯台」”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2000年10月30日)
- ^ “白浜町のシンボルがリニューアル完了 野島崎灯台 きょうから参観開始”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2001年4月1日)
- ^ “長尾藩陣屋跡の遺構確認 絵図面通りの様式 白浜町で埋蔵文化財発掘調査”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2000年11月1日)
- ^ “「めがね橋」周辺を整備 県文化財指定きっかけに 川浄化も町あげて 白浜”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1989年3月16日)
- ^ “めがね橋106年前の姿に 写真参考に修復完成 白浜”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 30. (1994年4月8日)
- ^ “106年前の姿を復元 白浜の「めがね橋」”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 24. (1994年4月12日)
- ^ a b “106年前の美しさ再び めがね橋[文化財]修復完了 周辺の公園化整備推進へ 白浜”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年4月12日)
- ^ “観光客のオアシスに 「白浜音頭発祥の地公園」お目見え あす、記念碑の除幕式”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (2001年9月28日)
- ^ “「白浜野島崎」が登録 道の駅、県内19カ所目”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 4. (2005年8月11日)
- ^ “八犬伝伝説 観光の目玉に 南房の秋、里見まつりで”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年9月20日)
- ^ “趣向凝らした演出 華麗な時代絵巻 館山と白浜で盛大に里見まつり”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1993年10月18日)
- ^ “白浜音頭全国大会 86歳から3歳まで 自慢ののど披露 きょう知事ら招き決戦会”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1992年9月27日)
- ^ “白浜音頭全国大会 初代日本一に茂原の沖さん 沼田知事招き盛大に”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1992年9月28日)
- ^ “白浜音頭の日本一争う 一般の部は茂原の沖さんが一位”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 23. (1992年9月29日)
- ^ “白浜音頭日本一競う 26・27日白浜町で 「のどに覚え」の222人”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (1992年9月22日)
- ^ “最後の大会、盛大に 白浜音頭全国大会 自慢ののど競う 全国から295人参加”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 17. (2009年9月27日)
- ^ “東京と南房総を直結 予約制バス運行開始 白浜終点の1日3便”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1999年10月2日)
- ^ a b “功績、末永く伝えよう 郷土白浜町に胸像 歯車研究の故成瀬政男博士”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1998年9月12日)
- ^ “文学 根本海岸付近 若き日の牧水思い出の地”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 26. (1993年4月23日)
- ^ “ご存じですか 若山牧水”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年3月14日)
- ^ “若山牧水と白浜 “初恋”そして“失恋”の地 歌碑にも青春の面影”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 9. (1992年3月24日)
- ^ “文学みちしるべ 若山牧水と白浜周辺 熱烈な恋歌生んだ舞台”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 11. (1990年12月20日)
- ^ a b “観光客のオアシスに 「白浜音頭発祥の地公園」お目見え あす、記念碑の除幕式”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1991年4月28日)
- ^ “ご存じですか 菊地幽芳”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 15. (1994年5月18日)