白河義綱
白河 義綱(しらかわ よしつな)は、江戸時代初期の武士。仙台藩客分。仙台白河家2代当主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 文禄元年(1592年) |
死没 | 寛永16年9月6日(1639年10月2日) |
別名 | 義総、忠三郎 |
墓所 | 宮城県仙台市青葉区 法源寺 |
官位 | 宮内大輔 |
主君 | 伊達政宗、忠宗 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 白河結城氏 |
父母 | 小峰義名、結城義親 |
妻 | 結城義親娘 |
子 | 義実、小峰朝景、小峰朝清、月川院 |
生涯
編集文禄元年(1592年)、白河結城氏庶流・小峰義名の子として誕生した。
父・義名は早世したため、この時点で跡取りのいなかった伯父・結城義親の婿養子となる[1]。義親は天正18年(1590年)の奥州仕置の際に改易されて以来流浪の身であったが、慶長6年(1601年)に伊達政宗の客分となり百人扶持を給与されると、義綱もこれに従って仙台に移った。
義綱は寛永3年(1626年)に義親が86歳で死去する以前に既に家督を譲られていたと考えられる。義綱の代以降もっぱら白河氏[2]を名乗るようになったが、義綱の代までは客分扱いのままであり、正式に仙台藩の家中に組み込まれるのは子の義実の代からである[3]。
系譜
編集脚注
編集出典
編集- 『一迫町史』(宮城県栗原郡一迫町、1976年)