白江 権左衛門(しろえ ごんざえもん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将[1]

 
白江権左衛門
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 天正12年(1584年
別名 庄右衛門、喜左衛門
主君 佐藤忠能斎藤利治利堯森長可
氏族 白江氏板津氏
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略歴

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美濃国加治田出身。加治田城主・佐藤忠能斎藤利治斎藤利堯の家臣として仕える。

堂洞合戦[2]関・加治田合戦加治田・兼山合戦[3]に従軍した。その後、利堯が死去すると、兼山城森長可に仕えた。

小牧・長久手の戦いに参加し、徳川家康の本陣に突入し討死した[4]

逸話

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子孫

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出典

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  • 『南北山城軍記』
  • 『堂洞軍記』
  • 『永禄美濃軍記』

脚注

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  1. ^ 加陽諸氏系譜(加賀藩に仕えた白江氏の系図)
  2. ^ 富加町下巻通史編 196頁「北の加治田方面からの攻撃軍は・・・(中略)・・・西村治郎兵衛吉田弥三小森半平・佐藤勘右衛門(佐藤堅忠)・白江庄右衛門の屈強の諸将三八騎」
  3. ^ 富加町史下巻通史編 236頁「東の清水口(白華山清水寺入口)-白江庄右衛門を将として小関勘助道家久平衛原金左衛門関新八八郎等三百五十余。」
  4. ^ 「加治田廃城後の家臣の動向 白江権左衛門」『富加町史』 下巻 通史編、岐阜県加茂郡富加町、1980年、247頁。 
  5. ^ 富加町史下巻通史編 247頁「白江権左衛門(喜左衛門又は庄右衛門ともあり)加治田の勇士」
  6. ^ 富加町上巻史料編732-733頁「正確には、真屋新助の一騎打ちで直井太郎右衛門が窮地の所へ、白江庄右衛門が落合わせ、助太刀し直井が二刀さし、直ぐに庄右衛門が押して首を取った。互いに功を譲り、斎藤利堯は志を感じ、同様に称美した。」
  7. ^ 板津介次郎成景の館 「自己紹介関係項目と概要内容 作者澤潟四郎の生い立ち概要 曾祖父母のふるさと富加町滝田」

外部リンク

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