白井重麿
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白井 重麿(しらい しげまろ、1913年(大正2年)7月12日 - 1984年(昭和59年)11月25日)は、日本の政治家、旧鶴岡市第10代市長、満州国官吏。栄典は正六位・勲四等・旭日小綬章。
略歴
編集- 1913年(大正2年)7月12日 - 朝鮮京城に、白井重任の長男として生れる。
- 1920年(大正9年) - 鶴岡町(現・鶴岡市)に移住。
- 1931年(昭和6年) - 山形県立鶴岡中学校(山形県立鶴岡南高等学校)卒業
- 新潟高等学校 卒業
- 京都帝国大学法学部 卒業
- 満州国官吏となり総務庁 入庁
- 農林事務官
- 1947年(昭和22年)3月 - 同職退任、 山形県企画審議室企画課長 就任
- 同県商工労働部長
- 同県企画局長
- 1967年(昭和42年) - 鶴岡市長の足達兼一郎に招かれ鶴岡市助役就任
- 1970年(昭和45年) - 鶴岡市長に当選(以後3期連続当選)
- 庄内開発協議会長を兼務
- 1979年(昭和54年)11月 - 眼疾患のため同職退任。
- 1984年(昭和59年)11月25日 - 死去。鶴岡の総穏寺に墓がある。
叙位・叙勲
編集親族
編集脚注
編集参考資料
編集公職 | ||
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先代 足達兼一郎 |
鶴岡市長 第10代:1970年 - 1979年 |
次代 斎藤第六 |