甲波宿禰神社 (東吾妻町)
群馬県東吾妻町にある神社
甲波宿禰神社(かわすくねじんじゃ)は、群馬県吾妻郡東吾妻町箱島にある神社。祭神は速秋津彦神、速秋津姫神[1]。旧社格は村社[2]。
甲波宿禰神社 | |
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所在地 | 群馬県吾妻郡東吾妻町箱島1136 |
位置 | 北緯36度32分47.9秒 東経138度55分38.8秒 / 北緯36.546639度 東経138.927444度座標: 北緯36度32分47.9秒 東経138度55分38.8秒 / 北緯36.546639度 東経138.927444度 |
主祭神 |
速秋津彦神 速秋津姫神 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 延暦4年(785年) |
本殿の様式 | 一間社入母屋造 |
別名 | 宿祢大明神 |
例祭 |
4月15日 9月最終土曜日 |
地図 |
由緒
編集早良親王の謀叛に与した容疑で上野国に配流された小野金善が、延暦4年(785年)に川島甲波宿禰神社から勧請したと伝わる[1][2]。
「甲波」を川、「宿禰」を「直根」として「川の本流」を意味する社名と解し、吾妻川沿いの箱島・祖母島・川島と「島」のつく地に3社が並んでいたことから、吾妻川を神格化したものと尾崎喜左雄は説明している[3]。
戦国時代には白井城主の長尾氏の崇敬を受け、長尾景春が太刀を献上したという[1]。
寛文4年(1664年)には大明神免として田1反3畝25歩、畑1反7畝4歩の神領があった[1]。江戸時代は「宿祢大明神」と称したが明治時代に甲波宿禰神社に改称した[1][2]。江戸時代までの祭事は別当寺の万福寺住職が奉仕したが、明治以降は神官が奉仕している[1][2]。
明治元年(1868年)に社務所の火災により古記録類を全て焼失した[2]。
建築様式から本殿の建築年代は18世紀前期、拝殿の建築年代は18世紀後期と推定されている[2]。
祭神
編集境内社58社[1]
- 神明宮
- 伊勢宮 3社
- 寨神社 3社
- 山神社 17社
- 稲荷神社 10社
- 水神社 2社
- 春日社
- 八幡社 2社
- 大島社 5社
- 秋葉社 3社
- 三島神社
- 諏訪神社
- 八坂社 2社
- 多賀社
- 菅原社
- 琴平社
- 吾妻社 2社
- 阿夫利社
- 御嶽社
境内
編集-
鳥居
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拝殿
-
拝殿の扁額
-
境内社
祭事
編集文化財
編集東吾妻町指定重要文化財
編集東吾妻町指定天然記念物
編集交通
編集周辺
編集脚注
編集参考文献
編集- あづま村誌編纂委員会『あがつま あづま』あづま村誌編纂委員会、1965年6月15日。doi:10.11501/3038698。(要登録)
- 群馬県地域創生部文化財保護課『群馬県近世寺社総合調査報告書-歴史的建造物を中心に-神社編』群馬県前橋市大手町一丁目1番1号、2022年3月18日(原著2022年3月18日)。doi:10.24484/sitereports.121895。 NCID BC14492681 。