田沼意留
江戸時代後期の大名 (?-1861)
田沼 意留(たぬま おきとめ)は、江戸時代後期の大名。遠江国相良藩主。官位は従五位下・備前守。相良藩田沼家7代。田沼意次の孫。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 文久元年9月17日(1861年10月20日) |
改名 | 熊五郎(幼名)、意留、楽山(号) |
墓所 | 東京都豊島区駒込の勝林寺 |
官位 | 従五位下、備前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 遠江相良藩主 |
氏族 | 田沼氏 |
父母 | 田沼意正、水野忠友娘 |
兄弟 | 意留、柳生俊能、柳生俊章正室ら |
妻 |
正室:堀直教娘 継室:分部光実娘 |
子 | 意尊、久留島通容正室 |
生涯
編集先代藩主・田沼意正の長男。文化2年(1805年)閏2月15日、11代将軍・徳川家斉に御目見する。文政2年(1819年)8月9日、意正の若年寄就任に伴って菊之間詰となる。12月16日、従五位下・備前守に叙任される。天保7年(1836年)4月21日、家督を相続し、雁之間詰となる。同年8月、天保の大飢饉による凶作で領内に多数の餓死者を出すなど、前途多難であった。
天保11年(1840年)7月20日、家督を嫡男の意尊に譲って隠居する。天保14年(1843年)11月25日、楽山と号す。文久元年(1861年)9月17日死去。
系譜
編集父母
正室、継室
子女