田所祐
(田所英子から転送)
田所 祐(たどころ ゆう、1924年3月15日[1] - 2005年1月13日[3])は、日本の内科医師[1]、馬主。
たどころ ゆう 田所 祐 | |
---|---|
生誕 |
1924年3月15日[1] 日本 兵庫県神戸市[2]もしくは和歌山県[1] |
死没 | 2005年1月13日(80歳没)[3] |
出身校 | 大阪大学[1] |
職業 | |
肩書き | |
子供 | 田所 英子(娘) |
親戚 |
田所 順(弟) 田所 健(弟) [4] |
経歴・人物
編集兵庫県神戸市にある田所医院の院長として、弟の順、健とともに医師として活動した[4]。阪神タイガースの専属ドクター、さらに日本ボクシングコミッション公認ドクターとして関西エリアでのボクシング興行でリングドクターを務めていた。
1995年の阪神・淡路大震災では、病院兼自宅が半壊[5]、被害に巻き込まれた順とその夫人を亡くすという不幸に見舞われた[4]。そのような状況であったが、同年12月28日には、所有馬マヤノトップガンが有馬記念を制して得た賞金の一部(1000万円)を日本赤十字兵庫県支部へ寄付した[5]。
馬主活動
編集日本中央競馬会(JRA)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は黄、緑縦縞、袖緑二本輪で、冠名には、神戸市にある摩耶山に由来する「マヤノ」のほか、「マックス」[注 1]を用いた。生前には阪神馬主協会の顧問も務めていた[3]。
祐の没後は、もとからチャクラ、マックスキャンドゥなどを所有する馬主であった娘の田所英子が祐の所有馬を引き継いでいる。なお、英子は馬術競技馬のオーナーでもある[6]。
主な所有馬
編集GI級競走優勝馬
編集- マックスビューティ(1987年桜花賞、優駿牝馬、サンスポ賞4歳牝馬特別、神戸新聞杯、ローズステークス、エリザベス女王杯2着)
- マヤノトップガン(1995年菊花賞、有馬記念、1996年宝塚記念、天皇賞・秋2着、1997年天皇賞・春、阪神大賞典)
重賞競走優勝馬
編集- マヤノジョウオ(1986年桜花賞2着、1987年北九州記念、1988年京都牝馬特別)
- マヤノペトリュース(1992年シンザン記念、東京優駿3着)
- マックスロゼ(1995年フェアリーステークス)
- マヤノギャラクシー(1995年京都障害ステークス・秋)
その他の所有馬
編集- マヤノオリンピア(1987年すみれ賞、1990年日経新春杯2着、1990年すばるステークス、オーストラリアトロフィー)
- マックスジョリー(1993年桜花賞3着、優駿牝馬3着)
- マヤノメイビー(1999年阪神3歳牝馬ステークス3着、2000年桜花賞2着)
田所英子の所有馬
編集- マックスキャンドゥ(1998年報知杯4歳牝馬特別、サンスポ賞4歳牝馬特別)
- チャクラ(2003年ステイヤーズステークス、2004年目黒記念)
- マヤノオスカー(2005年ゴールド争覇、2006年イヌワシ賞、2007年北国王冠、2008年オータムカップ)
- マヤノモーリス(2006年東海桜花賞)
- マヤノツルギ(2008年UHB杯、2009年ニューイヤーステークス)
- マヤノスターダム(2009年阪神ジャンプステークス)
- マヤノグレイシー(2009年イヌワシ賞)
- マヤノリュウジン(2010年MRO金賞、2013年スプリンターズステークス3着、2014年バーデンバーデンカップ、UHB賞)
- マヤノクレド(2015年オータムカップ、東海桜花賞、東海ゴールドカップ)
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f 『日本医籍録 第25版(昭和32年)西日本版』近畿地方・兵庫県7頁
- ^ “【平成有馬列伝】激動の95年に差した光明 変幻自在マヤノトップガン”. デイリースポーツ (2018年12月21日). 2023年4月5日閲覧。 “「マヤノ」の田所祐オーナーは神戸出身。”
- ^ a b c d e “トップガン馬主・田所祐氏、死去”. netkeiba.com. ネットドリーマーズ (2005年1月14日). 2023年4月5日閲覧。
- ^ a b c 木村幸治「[5度の直接対決]最強を生きた男たち 流れゆく日々」『週刊Gallop 臨時増刊 Farewell サクラローレル マヤノトップガン』、産業経済新聞社、1997年11月、53頁。
- ^ a b 「年度代表馬の足跡 デビューから引退までファンの夢乗せて走った全記録」『週刊Gallop 臨時増刊 Farewell サクラローレル マヤノトップガン』、産業経済新聞社、1997年11月、60頁。
- ^ “川端逆転で連覇達成!「来年もチャンスがあれば帰ってきます」”. サンケイスポーツ (2019年7月16日). 2023年4月5日閲覧。