正倉院南倉御物の緑綾袍に、「東大寺大歌袍、天平勝宝四年(752年)四月九日」(右衽裏)、「田上王」(右袖口裏)と見える[1][2]。
淳仁朝の天平宝字7年(763年)正月、桑原王とともに無位から従五位下に昇叙されているところから[3]、三世王以上であることが分かる。その後、称徳朝ではしばらく不遇をかこつが、神護景雲4年(770年)5月、桑原王の後任の縫殿頭に任命される[4]。縫殿頭は翌宝亀2年(771年)7月に石城王と交替するが[5]、光仁朝においてはその後も、従五位上、正五位下と昇進している。
『続日本紀』による。
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