生駒親章
日本の江戸時代中期~後期の武士
生駒 親章(いこま ちかあきら、安永2年5月7日(1773年6月26日) - 文化14年6月11日(1817年7月24日))は、江戸時代中期から後期の旗本。通称は斧太郎、主殿、大内蔵。
生涯
編集安永2年(1773年)5月17日、交代寄合生駒親睦の長男として誕生した。生母は生駒親賢の養女(実父津田信成)。養子に陸奥二本松藩主丹羽長貴の子親孝。
天明2年(1782年)5月7日、親睦の死去により家督を相続した。寛政10年(1798年)9月15日、将軍徳川家斉に御目見する。文化14年(1817年)6月11日、死去。正室は喜連川恵氏の娘。家督は婿養子の親孝が継いだ。
参考文献
編集- 「平成新修旧華族家系大成」(上巻)