生駒等寿
生駒 等寿(いこま とうじゅ、寛永3年(1626年) - 元禄15年5月8日(1702年6月3日))は、江戸時代前期の絵師。名は勝政。別号に眠翁。
略伝
編集讃岐の生駒氏の庶流生駒新三郎某の長男として生まれる。後に仕官を求めて萩に出て、寛文6年(1666年)長州藩第三代藩主毛利綱広に新規に召し抱えられたという[1]。同年、綱広の姉竹子が鷹司房輔に嫁ぐ際に、彼女のお付きとして京都に派遣される。そこで新しい主となった房輔の愛顧を受けその画用を務めた。延宝7年(1679年)11月に竹子は亡くなるが、等寿は鷹司家に留め置かれており、房輔の信任の厚さが窺える。こうした背景から房輔関連の作品が幾つか知られており、例えば、房輔が自ら奉納した「三十六歌仙図」では、「雪舟末葉生駒等寿筆」の署名がある。元禄13年(1700年)1月に房輔が亡くなると、その翌年6月ようやく萩に帰郷し、その1年後に亡くなった。享年77。
現存作品
編集作品名 | 技法 | 形状・員数 | 所有者 | 年代 | 落款・印章 | 備考 |
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三十六歌仙図(画像) | 板絵著色 | 36面 | 大井俣窪八幡神社 | 1694年(元禄7年5月) | 山梨市指定文化財(美術工芸品) | |
松桜幔幕図屏風 | 紙本金地著色 | 六曲一双 | 醍醐寺霊宝館 | |||
菊花図簾屏風 | 紙本金地著色(表)・紙本著色(裏) | 六曲一双 | 三の丸尚蔵館 | 款記「雪舟末葉生駒等壽筆」・「民翁」「勝政」印 | 皇室に当初から伝来した作品[2]。 | |
京名所春秋図屏風(修学院図屏風) | 紙本著色及び金彩 | 六曲一隻 | 個人 | |||
柿本人麻呂図 | 萩博物館 | |||||
十六羅漢図 | 禅林寺 | |||||
涅槃図 | 絹本著色 | 1幅 | 瑞聖寺 | 港区指定文化財 | ||
涅槃図 | 広雲寺・萩市 | |||||
出山釈迦図 | 功山寺(下関市) |
脚注
編集参考資料
編集- 五十嵐公一 『近世京都画壇のネットワーク ―注文主と絵師』 吉川弘文館、2010年、148-156頁。ISBN 978-4-642-07911-2
- 展覧会図録