甘露寺経元

戦国時代から安土桃山時代の公卿。正二位・権大納言。冷泉為豊の次男。甘露寺家20代

甘露寺 経元(かんろじ つねもと)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての公卿官位正二位権大納言

 
甘露寺経元
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文4年(1535年
死没 天正13年5月8日1585年6月5日
改名 高倉範家→範信→甘露寺経元
戒名 乗雲院快屋円空
官位 正二位権大納言
主君 後奈良天皇正親町天皇
氏族 下冷泉家甘露寺家
父母 父:冷泉為豊
養父:高倉範久甘露寺伊長
兄弟 冷泉為純経元
養兄弟:俊長熈長
藤波慶忠[1]
養子:経遠経家
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生涯

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天文4年(1535年)、非参議冷泉為豊の次男として誕生。当初は高倉家の後継者とされるが、後に権大納言・甘露寺伊長の養子となる。

元亀元年(1570年)、参議となる。

天正10年(1582年)5月29日、織田信長毛利輝元討伐のために上洛すると、6月1日に経元と勧修寺晴豊勅使として、ほかの公家らと共に本能寺へ出向いた[2]。翌2日、本能寺の変が発生し、信長は横死した。

天正13年(1585年)5月8日、薨去。家督は養子・経遠が継いだ。

系譜

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脚注

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  1. ^ 祭主
  2. ^ 福島克彦 2020, p. 182.

参考文献

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  • 福島克彦『明智光秀 織田政権の司令塔』中央公論新社、2020年。ISBN 4121026225 

関連項目

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