フィンガー5

日本のアイドルグループ
玉元一夫から転送)

フィンガー5(フィンガーファイブ、Finger 5)は、日本の男女混合歌謡アイドルグループ。主に1970年代に活動した。沖縄県出身の男性4人と女性1人の5人兄妹が踊りながら歌い、四男の変声期前のハイトーンボイスでメインボーカルを担当し、彼らの歌唱力やルックスなどが人気を博してミリオンセラーとなった。

フィンガー5
別名
  • オールブラザーズ
  • ベイビー・ブラザーズ
出身地 日本の旗 日本沖縄県具志川市(現:うるま市
ジャンル
活動期間
レーベル
旧メンバー

バンドを自称するも、全盛期は演奏する場がほとんどなかった。解散後も音楽活動やテレビ出演などを時折している。

略歴

編集

生い立ち

編集

米国占領下の沖縄で、父親が経営する米兵相手のAサインバーでアメリカのロックやポップスに親しみ[3]、当時小学生の長男・一夫、次男・光男、三男・正男が「オールブラザーズ」としてバンド活動を始める。晃は「自分と妙子は後から無理やり参加させられた」と述べている[要出典]。英語の歌詞は聞こえた音をカタカナでメモし、キーボードは紙に書いた鍵盤で練習した。

父のバーはのちに他の経営者の手に渡るが、21世紀初頭まで存在[要出典]した写真がテレビや書籍で紹介されている。

オールブラザーズからベイビー・ブラザーズ、そしてフィンガー5へ

編集

オールブラザーズは沖縄のテレビ番組のコンテストで優勝し、テレビ局のプロデューサーに薦められて1969年に東京都東村山市に移住する[3]。上京した一家は「歩くのが早い、しゃべるのも早い、お札の色が緑(米ドル)でない」ことに驚いた。母が自ら車を運転し、日本中の在日米軍基地を回って慰問コンサートを行いながらデビューの機会を待った。

1970年にバンド名をベイビー・ブラザーズに変えて、南沙織より1年早くメジャーデビューするも売れずに苦しい時代を過ごし、転校した学校で「売れない歌手」と悪口も言われた[3]。妙子はそれまで着たことがない琉球王朝時代の服を着せられ、晃はその時期に出した曲にタイトルさえもう覚えていないものがあるという。

不遇の末に沖縄に戻る準備をしていた頃、子供に向けて子供の歌手をデビューさせる企画を描く担当者が彼らの存在を知り、「少し出来るだけのガキだろう」と思いながらたまたまデモテープを聴いた音楽関係者が「これは本物だ」と驚いて彼らを説得し、1972年に再デビューする[3]。米国で当時大ヒットしていた同じ5人兄弟で結成されたジャクソン5を意識し、母親が「フィンガー5」と名付けた。

黄金時代

編集

初めてのテレビ出演は子供の視聴が多い土曜の夕方に放映され、放映直後はテレビ局に問い合わせの電話が殺到した。1973年世志凡太がプロデュースし、漫画家水島新司レコードジャケットのイラストを手掛けた「個人授業」を発売すると、ミリオンセラーとなり一気に知名度が上がる。その後「恋のダイヤル6700」「学園天国」などをリリース、いずれもミリオンセラーとなった。テレビ・映画にも多く出演した。楽曲のテーマは学校における恋愛で一貫していた。

幼稚園ヒーローになり[4]小西良太郎は「歌謡曲幼年化の波が来た」と評した[4]

5人の中でも特に、年少の晃と妙子に注目が集まった。デビュー当時は11歳と10歳で、あどけない姿でステージをこなす姿が人気となった。晃が「目立ちたいから」とトレードマークとしたトンボ形のサングラスが大流行した。

自らの意思で活動を始めたこともあり、一夫がマネージャーを兼任し、仕事の交渉やスケジュール管理もこなした[5]

大人気によるハードスケジュールのために晃が過労で入院すると、病床の写真が週刊誌に掲載され[いつ?][要出典]、医師は関係者に「あなたたちは、この子を殺すつもりか」と告げた。晃が変声期で「声変わり」を防ぐため、関係者らが女性ホルモンの注射を強く勧めたが本人は断った[6]

その後

編集

1975年に長男の一夫がマネージャーに専念するために脱退し、代わりに甥で長女の息子の具志堅実が加入する。ハードスケジュールは限界に達し、休養も兼ねて1975年から1976年に米国に留学する。これまで芸能活動で得た収入は、渡航費用で全て使い切った。芸能活動に一切口を出さなかった父の「芸能界で稼いだ金など、あぶく銭だ」とする考えも反映されていた。

帰国後は、長く日本を留守にしていたこと、メインボーカルの晃が変声期で従来のようなハイトーンが出せなくなったこと、彼らのやりたい音楽とファンのニーズが乖離[要出典]してヒットに結びつかないことなどから人気が急落した。後の晃の述懐によると、どうすれば売れるかは分かっていたがそれは自分たちがやりたくないことであり、割り切って自分たちのやりたいことをやろうとしたら売れなくなったという。

末期は晃に代わり妙子をメインボーカルに据えたり、バンドとしてメンバー自らの演奏を前面に出すなどを試みるも人気は回復せず、1978年に実質的に解散した。その後メンバーの一部は、ザ・フィンガーズ[注釈 2][注釈 3]など、いくつかのバンドを結成し活動するが、大きくブレイクすることはなかった。

2003年の「The 30th Anniversary!!」で、兄弟5人でフィンガー5を再結成し、全国から大勢のファンが集まった。

なお、90年代初頭に市東亮子が、彼らをモデルにした「超ド級無敵アイドル戦隊 バトルフィンガーファイブ」という作品を描いている。

メンバー

編集

全員、沖縄県具志川市(現:うるま市)出身の兄弟。

  • 玉元 一夫(たまもと かずお、 (1955-04-08) 1955年4月8日(69歳) - B型 ) 長男。リードギター担当。コーラス。
  • 玉元 光男(たまもと みつお、 (1957-02-03) 1957年2月3日(67歳) -  O型) 次男。ドラムス担当。コーラス。
    • 芸能活動休止後美容師の免許を取得する。東京都田無市(現:西東京市)の理髪店で修行時は、顔を見た客が首をひねるなど市内では話題となった。その後はアメリカで活躍するが次第に美容師の業務が多忙となり、近年はテレビ出演を控えている。5人が揃う企画で光男だけ欠席したこともあった。
  • 玉元 正男(たまもと まさお、 (1959-02-02) 1959年2月2日(65歳) - O型) 三男。ベース担当。ボーカル。
    • 都内の建設会社大工として勤める。その後沖縄料理店を経営[7]する一方で、琉球音楽サークル「魔法使いま〜ちゃんとちっちゃな悪魔たちの集い」を結成し、活動している。
    • アイドル時代からの友人である元ずうとるび江藤博利とは現在も親交がある。
  • 玉元 晃(たまもと あきら、 (1961-05-09) 1961年5月9日(63歳) -  O型) 四男。ギター担当。メインボーカル。
    • 正男と同じ建築会社で、大工の後は営業職に転属した。退職後はT.AKIRAとして、江木俊夫あいざき進也狩人高道とともに結成したs4として現在もライブ活動などの音楽活動を続ける。
  • 玉元 妙子(たまもと たえこ、 (1962-06-07) 1962年6月7日(62歳) -  A型) 次女。キーボード担当。ボーカル。
    • 日出高等学校を卒業し、会社勤めの後20歳で結婚、1人娘がいる。その後芸能活動は行なっていない[8]

基本は上記5人で、末期に下記2人がメンバーとなる。

  • 具志堅 実(ぐしけん みのる、 (1967-01-23) 1967年1月23日(57歳) -  O型)上記兄弟の甥っ子。1975年6月発売のシングル『ぼくらのパパは空手の先生』から加入。このシングルのジャケット写真には写っていないが、レコーディングには参加している。テレビでの歌披露や雑誌の取材等では一時期長男を含めた6人体制での露出となっていた。1975年11月発売のシングル『帰ってくるよ』から、マネージャーに専念した長男と正式に交代。1978年2月発売のシングル『やきもちボーイ』まで在籍した。
    • メンバーの中で最も大柄で、光男の代わりにテレビ出演することが多い。
  • 安 広司(やす ひろし、 (1960-04-29) 1960年4月29日(64歳) -  O型)上記兄弟のいとこ。1978年6月発売のラストシングル『悩ませないで』のみ参加。

ディスコグラフィ

編集

シングル

編集
  • ベイビー・ブラザーズ名義。
# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 レーベル 規格品番
1 1970年
6月20日
A面 私の恋人さん 玉元正男 玉元一夫 キング
レコード
BS-1226
B面 自由な世界
2 1970年
10月20日
A面 ジングルベル 音羽たかし J.Pierpont 玉元一夫 BS-1271
B面 赤はなのトナカイ 新田宣夫 J.Marks
3 1970年
11月20日
A面 白い天使 橋本淳 高田弘 BS-1286
B面 僕たちの秘密 谷山浩子 高田弘
  • フィンガー5名義。
# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 レーベル 規格品番 最高位
1 1972年
8月25日
A面 キディ・キディ・ラブ 玉元正男 玉元一夫 山崎泉 キング
レコード
BS-1588
B面 悲しみの再会
2 1973年
8月25日
A面 個人授業 阿久悠 都倉俊一 フィリップス
レコード
FS-1757 1
B面 恋の研究 玉元一夫 山崎泉
3 1973年
12月5日
A面 恋のダイヤル6700 井上忠夫 FS-1776 1
B面 初めてのクラス会
4 1974年
3月5日
A面 学園天国 FS-1785 2
B面 フィンガー5のテーマ 玉元正男 玉元一夫 三枝伸
5 1974年
6月25日
A面 恋のアメリカン・フットボール 阿久悠 都倉俊一 FS-1794 4
B面 おませなデート
6 1974年
9月10日
A面 恋の大予言[注釈 4] 井上忠夫 馬飼野俊一 FS-1802 41
B面 上級生 井上忠夫
7 1974年
12月25日
A面 華麗なうわさ[注釈 5] 都倉俊一 FS-1815 6
B面 悲しみの十字路
8 1975年
2月5日
A面 名犬ラッシー 山上路夫 山下毅雄 ボブ佐久間 FS-1818 45
B面 帰ろうラッシー
9 1975年
3月5日
A面 バンプ天国[注釈 6] 阿久悠 井上忠夫 馬飼野俊一 FS-1823 13
B面 フィンガー5スペシャル 立木寝損 三枝伸
10 1975年
6月21日
A面 ぼくらのパパは空手の先生 阿久悠 三枝伸 深町純 ポリドール
レコード
DR-1955 19
B面 銀の十字架 立木寝損 三枝伸
11 1975年
11月21日
A面 帰ってくるよ フィンガー・ファミリー ジーン・ペイジ英語版 DR-1995 45
B面 ハイウェー・パトロール103
12 1976年
2月21日
A面 ジェット・マシーン 三枝伸 DR-3030 36
B面 魔神バロン
13 1976年
6月1日
A面 飛べ!すてきなベイビー 及川恒平 惣領泰則 DR-6008 65
B面 僕だけのプリンセス
14 1976年
9月21日
A面 101人ガールフレンド 阿久悠 都倉俊一 DR-6041 65
B面 くたばれジャイアンツ
15 1976年
12月21日
A面 モンローウォークのお嬢さん DR-6068 86
B面 バブルガム リリィ
16 1977年
5月1日
A面 恋のラッキー・ストライク 竜真知子 井上忠夫 あかのたちお DR-6097 85
B面 ディスコ・レディとファースト・キッス
17 1977年
7月21日
A面 スーパーカーブギ 小泉まさみ 佐孝康夫 DR-6126
B面 ママとパパのロックンロール
18 1977年
11月1日
A面 ぼくは眠れない 荒木一郎 小田健二郎 DR-6155
B面 いい娘じゃないから君が好き 酒井チエ ケン田村
19 1978年
2月1日
A面 やきもちボーイ 小泉まさみ DR-6178
B面 クレイジーラブ 杉山政美 小田健二郎
20 1978年
6月21日
A面 悩ませないで 橋本淳 馬飼野康二 DR-6223
B面 恋人よ
その他のシングル
  • フィンガー5とクリスマス・パーティー1973年12月1日/FS-1781) ※ジャケットイラスト:水島新司 ※オリコン最高位94位
  • フィンガー5とクリスマス・パーティー1974年11月10日/FS-3050)
  • 学園天国2001年9月5日/UMCK-5533)
    • 1.学園天国、2.窓辺のデイト、3.恋のハートビート、4.学園天国(カラオケ)

アルバム

編集
レコード
  1. 個人授業/FINGER 5 FIRST ALBUM(1973年12月5日
    「個人授業」とそのB面曲「恋の研究」の他、ジャクソン5マイケル・ジャクソンらの英語曲の日本語カヴァーソングを収録。
  2. 学園天国/FINGER 5 SECOND(1974年4月10日
  3. フィンガー5オリジナル わたしの恋人さん(1974年5月25日
    旧ベイビー・ブラザーズ名義の楽曲を中心に収録。フィンガー5名義のアルバムとしては唯一、キングレコードからの発売となった。仲宗根美樹がゲスト出演している。
  4. 恋の大予言/フィンガー5 サード・アルバム(1974年10月25日
  5. 華麗なうわさ/アルバムNo.4(1975年2月5日
  6. ジェット・マシーン ニュー"フィンガー5"から愛をこめて(1976年3月21日
  7. フィンガー5 NOW!!(1977年12月21日
CD
  1. シングル・コレクション(1991年12月5日
  2. バトル・フィンガー・ファイブ~リターンズ(1992年12月21日
  3. NEW BEST(1993年5月26日
  4. 恋の大予言/フィンガー5 サード・アルバム(1994年6月25日) ※2001年7月25日再発
  5. 個人授業/FINGER 5 FIRST ALBUM(1994年11月2日) ※2001年7月25日再発
  6. 学園天国/FINGER 5 SECOND(1994年11月2日) ※2001年7月25日再発
  7. 華麗なうわさ/アルバムNo.4(1994年11月2日) ※2001年7月25日再発
  8. スペシャル1800(1996年11月21日
  9. フィンガー王国1999年4月21日
  10. フィンガー天国(1999年4月21日)
  11. COMPLETE COLLECTION(2001年7月25日
  12. 学園天国・Re Mix天国!!(2001年8月22日
  13. スーパー・バリュー(2001年12月19日
  14. フィンガー5コンプリートCDBOX2003年2月8日) ※2007年8月25日再発
  15. ゴールデン☆ベスト フィンガー52003年11月26日
  16. CD&DVD THE BEST フィンガー5 [CD+DVD](2005年7月6日
  17. フィンガー5 ベスト10(2005年12月9日
  18. 歌が唄いたい!! ベストヒット&カラオケ(2006年8月30日
  19. Best & Nonstop Finger5(2012年7月25日

テレビ

編集

当時の出演番組

編集

現在からふりかえる過去の特集

編集

映画

編集

※『ハロー!...』は「東宝チャンピオンまつり」内で、『...大冒険』は「東映まんがまつり」内で、それぞれ上映された。同じ年に東映と東宝の「まつり」に登場したのは前例が無い。なお、この回の「東映まんがまつり」は、正式名が「フィンガー5と遊ぼう!東映まんがまつり」であるとのこと。

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 旧ベイビー・ブラザーズからの続投。
  2. ^ 1960年代のバンド、ザ・フィンガーズとは無関係。
  3. ^ モデルとなったジャクソン5も、1975年ジャクソンズに改名している。
  4. ^ 元は「上級生」がA面だったが、ボーカル晃の変声期と重なり、A面とB面が差し替えられた。
  5. ^ A面曲では初めて妙子がメインボーカルを務めた楽曲。
  6. ^ ジャケットには水島新司によるバンプを踊っている晃と妙子のイラストが掲載。

出典

編集
  1. ^ Eremenko, Alexey. Finger 5 | Biography & History - オールミュージック. 2021年6月27日閲覧。
  2. ^ Finger5 / Best&Nonstop Finger5 [2CD+DVD]”. CDJournal. 株式会社シーディージャーナル. 2021年6月27日閲覧。
  3. ^ a b c d "「フィンガー5」晃さんに聞いた「天国も地獄も味わったけど、後悔はありません」". 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ. 5 May 2022. 2022年5月5日閲覧
  4. ^ a b 小西良太郎「歌は世につれ世は歌につれ 歌謡特集(2) 『不況の中の'74年歌謡曲やぶにらみ考』」『スタア』1975年1月号、平凡出版、227–231頁。 
  5. ^ 『驚きももの木20世紀』で高田文夫が証言。[出典無効]
  6. ^ 『売れなきゃよかった…金曜日の告白SP!大壮絶人生』より。[出典無効]
  7. ^ NHK BS2日めくりタイムトラベル 昭和48年』より[出典無効]
  8. ^ 二田一比古 (2023年2月6日). “あの人は今こうしている 70年代を彩った元「フィンガー5」妙子さん 音楽とは無縁の生活、再婚した年下夫と平穏に暮らす”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ. 2023年3月1日閲覧。

外部リンク

編集