猪股裕紀洋
日本の小児外科医 (1953-)
猪股 裕紀洋(いのまた ゆきひろ、1953年〈昭和28年〉3月29日 - )は、日本の小児外科医、移植外科医、小児外科学者、移植外科学者。医学博士。熊本労災病院院長、元熊本大学副学長、元熊本大学医学部附属病院病院長。熊本大学名誉教授、日本小児外科学会名誉会員、日本移植学会名誉会員、日本肝移植学会名誉会員、日本肝胆膵外科学会名誉会員。
略歴
編集新潟県新潟市(現 新潟市東区)出身。1971年(昭和46年)3月に新潟高等学校を卒業[注 1]、1977年(昭和52年)3月に京都大学医学部医学科を卒業、1986年(昭和61年)3月に京都大学大学院医学研究科医学専攻博士課程を修了。
2000年(平成12年)8月に熊本大学医学部附属病院小児外科教授に就任、2002年(平成14年)4月に熊本大学医学部小児外科学講座教授に就任、2003年(平成15年)4月に熊本大学大学院医学薬学研究部小児外科学分野教授に就任。
2009年(平成21年)4月に熊本大学医学部附属病院病院長に就任、2010年(平成22年)11月15日に熊本大学医学部附属病院で手術を執刀、日本国内最年少の生後13日の新生児の生体肝移植に成功[2][3]。
年譜
編集- 1971年(昭和46年) 3月 - 新潟高等学校卒業
- 1977年(昭和52年) 3月 - 京都大学医学部医学科卒業
- 1977年(昭和52年)彦根市立病院小児科医師 6月 -
- 1979年(昭和54年) 4月 - 京都大学医学部附属病院外科研修医
- 1979年(昭和54年)大阪赤十字病院外科医師 7月 -
- 1982年(昭和57年) 4月 - 京都大学大学院医学研究科医学専攻博士課程入学
- 1983年(昭和58年) - 1984年(昭和59年) - 国立小児病院外科レジデント
- 1986年(昭和61年) 3月 - 京都大学大学院医学研究科医学専攻博士課程修了
- 1986年(昭和61年) 4月 - 京都大学医学部附属病院外科医員
- 1987年(昭和62年) 4月 - 京都大学医学部附属病院外科助手
- 1988年(昭和63年) 4月 - 京都市立病院外科医長
- 1989年(平成 1年) 7月 - 医学博士(京都大学)
- 1989年(平成倉敷中央病院外科医長 1年)10月 -
- 1991年(平成 3年)10月 - アイオワ大学外科留学
- 1992年(平成 4年)10月 - 日本バプテスト病院外科部長
- 1993年(平成 5年)10月 - 京都大学医学部附属病院外科助手
- 1995年(平成 7年) 1月 - 京都大学医学部外科講師
- 1995年(平成ストラスブール大学外科客員教授 7年) 5月 - 6月 -
- 1996年(平成 8年) 2月 - 京都大学大学院移植免疫医学講座助教授
- 2000年(平成12年) 8月 - 熊本大学医学部附属病院小児外科教授
- 2002年(平成14年) 4月 - 熊本大学医学部小児外科学講座教授
- 2003年(平成15年) 4月 - 熊本大学大学院医学薬学研究部小児外科学分野教授
- 2007年(平成19年) 4月 - 2009年(平成21年)3月 - 熊本大学医学部附属病院副病院長
- 2009年(平成21年)2013年(平成25年)3月 - 熊本大学医学部附属病院病院長、熊本大学副学長 4月 -
- 2010年(平成22年) 4月 - 熊本大学大学院生命科学研究部小児外科学分野教授
- 2012年(平成24年) 4月 - 熊本大学大学院生命科学研究部小児外科学・移植外科学教授
- 2017年(平成29年) 3月 - 熊本大学退官
- 2017年(平成29年)熊本労災病院院長 4月 -
著作物
編集編書
編集論文
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集外部リンク
編集学職 | ||
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前回 森川康英 |
日本小腸移植研究会当番世話人 第23回:2011年 |
次回 上本伸二 |
前回 向坂彰太郎 |
日本肝移植研究会当番世話人 第31回:2013年 |
次回 川崎誠治 |
前回 篠原徹 |
日本小児脾臓研究会会長 第27回:2014年 |
次回 韮澤融司 |
前回 連利博 |
日本胆道閉鎖症研究会会長 第41回:2014年 |
次回 岩中督 |
前回 島津元秀 |
日本移植学会総会会長 第51回:2015年 |
次回 相川厚 |
前回 西島栄治 |
日本小児外科学会秋季シンポジウム会長 第31回:2015年 |
次回 中野美和子 |