物部薬
記録
編集『日本書紀』巻第三十によると、持統天皇10年4月(684年)、壬生諸石(みぶ の もろし)とともに追大弐の位階を授けられ、
并(あはせ)て人ごとに絁(ふとぎぬ=あしぎぬ)四匹(よむら)、糸十絇(とはかり)、布二十端(はたむら)、鍬二十口(はたわ)、稲一千束(ちつか)、水田(こなた)四町(よところ)賜ふ。戸(へ)の調役(えつき)復(ゆる)す。
これによって、長期間にわたる唐での抑留生活の苦しみをねぎらわれたという[1]。姓を有していないため、庶人ではあるが、物部に属して軍事や刑罰に携わっており、百済の戦役で捕虜になったものと思われる。
脚注
編集- ^ 『日本書紀』持統天皇10年4月27日条