牧野光成
江戸時代前期の越後長岡藩の世嗣。従五位下・大和守。牧野忠成の長男
牧野 光成(まきの みつなり)は、江戸時代前期の越後国長岡藩の世嗣。通称は老之助。官位は従五位下・大和守。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長19年(1614年) |
死没 | 寛永14年6月22日(1637年8月12日) |
改名 | 忠虎(初名)、光成 |
別名 | 老之助(通称) |
戒名 | 清厳院殿順譽徳崇興和大居士 |
墓所 | 江戸駒込の榮松院 |
官位 | 従五位下大和守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 越後長岡藩世嗣 |
氏族 | 牧野氏 |
父母 | 父:牧野忠成、母:永原道真の娘 |
兄弟 | 光成、嶺秀院、花形院、康成、朝成、定成、忠清、於吉 |
妻 | 正室:本多俊次の娘 |
子 | 忠成 |
略歴
編集長岡藩初代藩主・牧野忠成の長男として誕生。母は永原道真の娘。初名は忠虎。正室は本多俊次の娘。
寛永4年(1627年)に従五位下・大和守に叙任。3代将軍・徳川家光より偏諱を賜い光成と改名。寛永11年(1634年)7月には父・忠成と共に家光の上洛に随従。しかし、家督相続前の寛永14年(1637年)に俄かに死去した。享年24。法名は清厳院殿順譽徳崇興和大居士。葬地は江戸駒込の榮松院。
代わって光成の長男・忠盛(後に忠成と改名)が嫡子となった。