ウシ
ウシ(牛)は、哺乳綱鯨偶蹄目ウシ科ウシ亜科の動物である。野生のオーロックスが、人類によって家畜化されて生まれた。ただし、アメリカ哺乳類学会では、ウシ、オーロックス、コブウシをそれぞれ独立した種として分類している。
ウシ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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分類 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Bos taurus | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
英名 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Cattle |
「ウシ」は、狭義では特に(種レベルで)家畜種のウシ(学名:Bos taurus)を指す。一方、やや広義では、ウシ属 (genus Bos) を指し、そこにはバンテンなどの野生牛が含まれる。さらに広義では、ウシ亜科 (subfamilia Bovinae) の総称である。すなわち、アフリカスイギュウ属、アジアスイギュウ属、ウシ属、バイソン属などを指す。これらは牛と認められる共通の体形と特徴を持つ。大きな胴体、短い首と一対の角、胴体と比べて短めで前後にだけしか動けない脚、軽快さの乏しい比較的鈍重な動き、などが特徴である。ウシと比較的近縁の動物としては、同じウシ亜目(反芻亜目)にキリン類やシカ類、また、同じウシ科の仲間としてヤギ、ヒツジ、レイヨウなどがあるが、これらが牛と混同されることはまずない。
以下ではこのうち、上記の狭義である「家畜ウシ」について解説する。
名称
編集ウシは、伝統的には牛肉食文化が存在しなかった地域においては、例えば漢字文化圏における「牛」ないし十二支の配分である「丑(うし)」のように、単一語で総称されてきた。これに対し、古くから牛肉食や酪農を目的とする家畜としての飼育文化や放牧が長く行われてきた西洋地域(例えば、主に英語圏など商業的牛肉畜産業が盛んな地域)においては、ウシの諸条件(性別、避妊・去勢の有無、食肉用、乳牛、等)によって多種多様な呼称をもつ傾向がある。
近代以降欧米由来の食文化のグローバル化が進展し、宗教的理由から牛肉食がタブーとされている地域を除いては、牛肉食文化の世界的拡散が顕著である。特に商業畜産的要因から、現代の畜産・肥育・流通現場においては世界各地で細分化された名称が用いられる傾向がある。
性別による名称
編集- 牡の牛
- 牡(オス)の牛。日本語では、牡牛/雄牛(おうし、おすうし、古訓:『をうじ』とも)[1]、牡牛(ぼぎゅう)[1]という。「雄牛(ゆうぎゅう)」という読みも考えられるが、用例は確認できず、しかし種雄牛(しゅゆうぎゅう、雄の種牛〈しゅぎゅう、たねうし〉)[2]という語形に限ってはよく用いられている。古語としては「男牛(おうし、古訓:をうじ、をうじ)」もあるものの、現代語として見ることは無い。
- 英語では、"bull"、"ox"、方言で "nowt"という。
- ラテン語では "taurus"(タウルス)といい、"bos"と同じく性別の問わない「牛」の意もある。
- 牝の牛
- 牝(メス)の牛。日本語では、牝牛/雌牛(めうし、めすうし、古訓:めうじ、をなめ、をんなめ[3]、うなめ等)[4][3]、牝牛(ひんぎゅう)[3]という。「雌牛(しぎゅう)」という読みも考えられるが、用例は確認できず、雄と違って種雌牛も「しゅしぎゅう」ではなく「たねめすうし」と訓読みする[5]。古語としては「女牛[6]」「牸牛[4]」の表記もあるものの、現代語として見ることは無い。
- 英語では "cow"、ラテン語では "vacca"という。
なお、牡、牝はウマにも用いられる特殊な字である。
年齢による名称
編集日本語における年齢を基準とした呼び分けは牛においても一般的用法と変わりなく、つまり、人間や他の動植物と同じく[年少:幼牛─若牛─成牛─老牛:年長]という呼び分けがあるが、体系的に用いられるわけではない。一方、畜養・医療・加工・流通・管理・研究等々諸分野の専門用語として、通用語と全く異なる語が用いられていることもある。また、親牛・仔牛という本来は親と子の関係を表していた名称は、一般・専門ともによく用いられる。
- 未成熟な牛
- 成熟していない牛全般は、未成熟牛という。生まれたての牛も成熟間近の牛も該当する。
- 幼い牛
- 幼牛(ようぎゅう)。成熟に程遠い年齢の未成熟牛、あるいは未成熟牛全般をいう。専門的には、生後およそ120日以内から360日以内までの牛を指すことが多い。先述のとおり、子供(※動物に当てる用字としては『仔』であるが、常用漢字の縛りの下では『子』で代用する)の牛という意味から発した仔牛/子牛(こうし)は、幼牛より定義の緩い語ながらむしろ多く用いられる。英語では "calf"が同義といえ、日本語でもこれが外来語化した「カーフ」がある。なお、これらの語は未成熟牛もしくは幼牛の生体を指し、屠殺後の食品とは別義である。
- 肉牛の場合、この段階から業者が品質を高め始めることになるため、ベーシックな状態の牛という意味合いで素牛(もとうし)、育て上げる牛という意味で育成牛(いくせいぎゅう)という[7]。素牛は繁殖用育成と肥育(出荷するために肉質を高めつつ肉量を増やす飼育)のいずれかに回すことになり[8]、行く末が決まり次第、それぞれに繁殖素牛・肥育素牛(ひいく-)という。
- 幼い牛の肉は特に区別されていて、月齢によって「ヴィール」「カーフ」と呼び分ける。
- 生後6か月以内の仔牛の皮革(原皮となめし革)は[9][10]、「カーフ」の名で呼ばれるほか[11]、その原皮を「カーフスキン (calfskin)」[9]、その皮革を一般に「カーフレザー (calf leather)」[10]と呼び、前者は原義を離れて「仔牛の革」の意でも用いられる[12]。後者は牛革の中でも最高級とされ[10]、よく馴染むしなやかさが特徴で、鞄・手帳・財布・靴など多様な革製品に好んで用いられる。
- 若い牛
- 若牛(わかうし)。成熟が近い未成熟牛をいう。ただしあくまで古来の日本語において通用する語であって、各専門分野の用語としては、確認し得る限り、「仔牛(幼牛)」の段階を過ぎた牛は「成牛」である。
- 成熟した牛
- 成牛(せいぎゅう)という。
- 老いた牛
- 老牛(ろうぎゅう)という。現代都市文明においては、年老いて利用価値が低下した牛は、市場価値が極めて低く、ほぼ全ての老齢個体は廃用牛(はいようぎゅう)として処分される。例えば乳牛は、自然界では到底あり得ない頻度で生涯に亘って搾乳され続けるため、採算が取れないほど乳の出が悪くなった頃には、体が極度に不健康な状態になっている。
飼育条件による名称
編集畜産業界ないし肥育業界、ないし牛肉産品を流通・販売する業界などにおいては、さらに多様に表現されている。
- 畜牛(ちくぎゅう、英:cattle)
- 畜産用途に肥育されるウシ全般のこと。家畜牛。
- 去勢牛(きょせいぎゅう)
- 人工的に去勢されたウシのこと。食肉を目的として肥育されるにあたっては、雌雄とも去勢されることが多い。荷車牽引などの用務牛用途を目的として牡牛を用いる場合にも、精神的な荒さや発情を削ぐために去勢されるケースがよく見られる。英語では特にオスの去勢牛を"ox"、メスを"steer"と呼んで区別する。
- 乳牛(にゅうぎゅう、英:dairy cattle)
- 搾乳して得られる牛乳やその加工品を得ることを主目的として飼養されるウシのこと。
- 未経産牛(みけいさんぎゅう、英:heifer)
- 妊娠ないし出産を経験していない牝牛のこと。乳牛用途・肉牛用途ともに高価で取引される。
- 経産牛(けいさんぎゅう、英:delivered cow)
- すでに出産経験のある牝牛のこと。肉牛として出荷する場合には、未経産牛に比較して安価で取引される。
日本語の方言・民俗
編集日本の東北地方では牛をべこと呼ぶ。牛の鳴き声(べー)に、「こ」をつけたことによる。地方によっては「べご」「べごっこ」とも呼ぶ。
柳田國男によれば、日本語では牡牛が「ことひ」、牝牛が「おなめ」であった。また、九州の一部ではシシすなわち食肉とされていたらしく、「タジシ(田鹿)」と呼ばれていた[13]。
形質
編集
ウシは反芻動物である。反芻動物とは反芻(はんすう)する動物のことであるが、そもそも「反芻」とは、一度呑み下して消化器系に送り込んだ食物を口の中に戻して咀嚼し直し、再び呑み込むことをいう。このような食物摂取の方法を取ることで栄養の吸収効率を格段に上げる方向へ進化し、その有利性から生態系の中で大成功を収めて世界中に拡散した動物群が、反芻動物であった。多様に見えて、その実、単系統群である。そのような反芻動物の中でも、ウシが属するウシ科はとりわけ進化の度合いが深まった分類群(タクソン)の一つであり、ウシの仲間(※少し範囲を広げてウシ族と言ってもよい)は勢力的にも代表格と言える。彼らは、ヒトに飼われて殖えたのも確かではあるが、もともと自然の状態で生態上(種数と生物量の両面で)の大勢力であった。反芻動物の進化がウシ科のレベルまで深まる以前に勢力を誇っていたのはウマに代表される奇蹄類であり、ウシ科は栄養吸収効率の大きな差を活かして奇蹄類を隅に押しやり分布を広めた。そのことは地質学的知見で証明可能である。家畜としても比較されることの多いウシとウマであるが、同じ質と量の餌を与えた場合、栄養面で報いが大きいのは間違いなくウシであるということもできる。
反芻動物の具える胃を「反芻胃(はんすうい)」といい、マメジカのような原始的な種を除き、ウシを含むほとんどの反芻動物が4つの胃を具える。ただし実際には、胃液を分泌する本来の意味での胃は第4胃の「皺胃(しゅうい)・ギアラ」のみであり[14]、それより口腔に近い「前胃(ぜんい)」と総称される消化器系、第1胃「瘤胃(りゅうい)・ミノ」・第2胃「蜂巣胃(ほうそうい)・ハチノス」・第3胃「重弁胃(じゅうべんい)・センマイ」は[14]食道が変化したものである。ここを共生微生物の住まう植物繊維発酵槽に変えることで、反芻は極めて効果的な消化吸収システムになった。ウシの場合、この前胃に、草の繊維(セルロースなど)を分解(化学分解)する細菌類(バクテリア)および繊毛虫類(インフゾリア)を始めとする微生物を大量に常在させ[14]、繊維を吸収可能な状態に変えさせ[14]、収穫するようにそれを吸収するという方法で草を"食べている"[14]。前胃の微生物を総じて胃内常在微生物叢などというが、ウシはこれら微生物の殖えすぎた分も動物性蛋白質として消化・吸収し、栄養に変えている[14]。
ウシの味蕾は25,000個で味蕾が5000個のヒトの5倍を有する。ウシは毒物で反芻胃の微生物が死なないように味覚で食べる草をより分けている[15]。
ウシの歯は、牡牛の場合は上顎に12本、下顎に20本で、上顎の切歯(前歯)は無い。そのため、草を食べる時には長い舌で巻き取って口に運ぶ。
鼻には、個体ごとに異なる鼻紋があり、個体の識別に利用される。
家畜としてのウシの利用
編集食用
編集肉は牛肉として、また乳は牛乳として、それぞれ食用となる。食用は牛の最も重要な用途であり、肉・乳ともに人類の重要な食料供給源の一つとなってきた。牛乳も牛肉も、そのまま食用とされるだけでなく、乳製品や各種食品などに加工される原料となることも多い。
家畜であるウシは、畜牛(ちくぎゅう)といい、その身体を食用や工業用などと多岐にわたって利用される。肉を得ることを主目的として飼養される牛を肉牛(にくぎゅう)というが、肉牛ばかりが食用になるわけでもない。牛の肉を、日本語では牛肉(ぎゅうにく)という。仔牛肉以外は外来語でビーフともいう。
牛の内臓は、畜産副産物の一つという扱いになる。日本では「もつ」あるいは「ホルモン」と呼んで食用にする。世界には食用でなくとも、内臓を様々に利用する文化がある。
仔牛肉/子牛肉(こうしにく)は、英語では"veal"(ヴィール)、フランス語では "veau"(ヴォー)と呼ばれる。外来語形は少なくとも料理や栄養学などの分野で定着している。柔らかい食感が好まれ、さまざまな料理の食材として用いられる。特にフランス料理においては、その肉のブイヨン(出汁)がフォン・ド・ヴォーとして重用される。松阪牛等の高級和牛では「処女牛」という言い方がなされ、希少性が強調される場合がある。
牛の脂肉を食用に精製した脂肪は牛脂(ぎゅうし)もしくはヘットという。
年老いて乳の出が悪くなった乳牛の経産牛は、肉質は硬くなって低下し、体も痩せ細ってしまう[16]。21世紀初期の日本の場合、こういった個体は廃用牛の扱いを受け、安値でペットフード用など人間向けの食用以外に回されるのが一般的である[16]。しかし、再肥育して肉質を高めることで[注釈 1][16]人間向けの食用牛としての市場価値を“再生”させることに成功している業者もいる[16]。
生薬
編集胆石は牛黄(ごおう)という生薬で、漢方薬の薬材[注釈 2]。解熱、鎮痙、強心などの効能がある。救心、六神丸などの、動悸・息切れ・気付けを効能とする医薬品の主成分となっている。日本薬局方に収録されている生薬である。
牛の胆石は、人為的ではない状態では千頭に一頭の割合でしか発見されない、と言われていたため[17]、大規模で食肉加工する設備を有する国が牛黄の主産国となっている。オーストラリア、アメリカ、ブラジル、インドなどの国がそうである。ただし、BSEの問題で北米産の牛黄は事実上、使用禁止となっていることと、中国需要の高まりで、牛黄の国際価格は上げ基調である。
現在では、牛を殺さずに胆汁を取り出して体外で結石を合成したり、外科的手法で牛の胆嚢内に結石の原因菌を注入して確実に結石を生成させる、「人工牛黄」または「培養牛黄」が安価な生薬として普及しつつある。
タウリン(taurine)は牛の胆汁から発見されたため、ラテン語で雄牛を意味する「タウルス(taurus)」から命名された。
工業用
編集牛骨
編集牛の骨すなわち牛骨(ぎゅうこつ)は、加工食品の原料や料理の食材になるほか、肥料や膠にも利用できる。ただ、ヒンドゥー教では、牛の命の消費全般をタブーとしているため、牛膠もまた、その宗教圏および信仰者においては絵画を始めとする物品の一切に用いるべきでないものとされている。
牛の骨油である牛骨油(ぎゅうこつゆ)は、食用と工業用に回される。工業用牛骨油の主な用途は石鹸と蝋燭である。ギターなどの楽器の部品にもなる。
皮革
編集牛の皮膚すなわち牛皮(ぎゅうひ、ぎゅうかわ、うしがわ)は、鞣しの工程を経て牛革に加工され、衣服(古代人の上着・ベルト・履物などから現代人の革ジャンやレーシングスーツまで)、武具(牛革張りの盾や刀剣の鞘や兜、牛革のレザーアーマーなど)、鞄など収納道具、装飾品(豪華本の表装などを含む)、調度品(革張りのソファなど)、その他の材料になる。ここでも仔牛は特に区別されており、皮革の材料としての仔牛、および、その皮革を、仔牛と同じ語でもって「カーフ」と呼ぶ。
牛糞
編集牛糞(ぎゅうふん、うしくそ)は、肥料として広く利用される。与えられた飼料により肥料成分は異なってくるが、総じて肥料成分は低い。肥料としての効果よりも、堆肥のような土壌改良の効果の方が期待できる。また、堆肥化して利用することも多い。園芸店などで普通に市販されている。
乾燥地域では牛糞がよく乾燥するため、燃料に使われる。森林資源に乏しいモンゴル高原では、牛糞は貴重な燃料になる。またエネルギー資源の多様化の流れから、牛糞から得られるメタンガスによるバイオマス発電への利用などが模索されており、スウェーデンなどでは実用化が進んでいる。また、インドなどの発展途上国では牛糞を円形にして壁に貼り付け、一週間ほど乾燥させて牛糞ケーキを作製し、燃料として用いている(匂いもなく、火力も強い)[18]。
アフリカなどでは住居内の室温の上昇を避けるために、牛糞を住居の壁や屋根に塗ることがあり、建築材料としても利用している。
使役
編集使役動物としての牛は役牛(えきぎゅう)といい、古来、自動車に置き換わるまで先進国においても近年まで、馬とともに人類に広く利用されてきた。農耕用と、直接の乗用も含む人および物品の運搬用の、動力としての利用が主である。農耕のための牛は耕牛(こうぎゅう)という。運搬用というのは主に牛車(ぎゅうしゃ、うしぐるま)[注釈 3]用であるが、古来中国などではそれに限らない。幌馬車は牛が牽引することも少なくなかった。
牛の家畜化、使役の歴史は馬よりも古いが、牽引用としてはともかく乗用の発展は進まなかった。理由としては口の作りから馬のように銜(はみ)をうまくかませられず、手綱を振るうにも角が邪魔で、コントロール性が劣る。馬は牡牝とも同じように利用できるが、牛では顕著な体格と力の差があるため労働力として管理がしづらい。特に牡牛は気性が荒く、知能も馬より劣るとされ障害物を避けるような立ち回りが利かない。鞭や拍車を入れれば死ぬまで疾走を止めない馬と比べ、牛は特に疲労時など頑として動かなくなり走らせることに不向きな気質等が挙げられる。
土壌改良
編集痩せた土地に家畜を放し、他所から運び込んだ自然の飼料で飼養することによって土壌改良を図る方法があり、体格が大きく餌の摂取量も排泄量も多い牛は、このような目的をもった放牧に打ってつけの家畜でもある。
娯楽
編集牛を娯楽に利用する文化は、世界を見渡せば散見される。牛同士を闘わせるのは、アジアの一部の国・地域(日本、朝鮮、オマーンなど)における伝統的娯楽で、これを闘牛(とうぎゅう)という(闘牛#日本における闘牛も参照)。暴れ牛と剣士を闘わせるのは、西ゴート王国に始まり、イベリア半島を中心に伝統的に行われてきたブラッドスポーツの一種で、これも日本語では闘牛という(cf. 闘牛#スペイン闘牛の歴史)。暴れ牛と闘う剣士を闘牛士というが、対等の闘いではなく、絶対的有利な立場にある剣士が華麗な身のこなしと殺しを披露する見世物である。18世紀ごろのイギリスでは、牡牛と犬を闘わせる見世物として「牛いじめ(ブルベイティング、英:bullbaiting)」が流行し、牡牛(ブル)と闘うよう品種改良された犬、すなわち「ブルドッグ」が、現在のブルドッグの原形として登場した。このブラッドスポーツは残酷だとして1835年に禁止され、姿を消している。危険な暴れ牛や暴れ馬の背に乗ってみせるのは、北アメリカで発祥したロデオで、競技化しており、アメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、および、南アメリカの幾つかの国で盛んに興行が打たれている。
肉牛の一生
編集家畜としての牛は、主に肉牛と乳牛に分けられる。(ヨーロッパに多い乳肉兼用種というのもある)[21]
- 乳牛(ホルスタインなどの乳用種)については、#乳牛の一生を参照。
肉用牛には3種の区分があり、それぞれ「肉専用種(和牛)」「乳用種(乳牛から生まれた雄)」「交雑種(F1:乳牛雌に肉専用種雄を交配した種)」と呼ばれている[22]。
肉牛は舎飼いが一般的で、放牧を行う農家は約13%となっている[23]。
肥育牛
編集繁殖農家で生まれた子牛は、1カ月齢~3カ月齢で、人為的に母子分離及び離乳が同時に行われるのが一般的である。これは子牛にとって強いストレスとなる。そのため、子牛にトゲの付いた鼻輪を装着させ、子牛が乳を吸おうとすると母牛が嫌がるようにしむけ、離乳を先に行い、のちに母子分離をするという手法がとられることもある[24]。
子牛は250-300kgになる10か月齢から12か月齢まで育成され、「素牛(もとうし)」(6か月齢〜12か月齢の牛)市場に出荷され(2-4か月齢で出荷されるスモール牛市場もある)、肥育農家に競り落とされる。競り落とされた素牛は肥育農家まで運ばれる。長距離になると輸送の疲れで10kg以上やせてしまうこともある[25]。
その後、「肥育牛」として肥育される。飼育方法は、繋ぎ飼い方式・放牧方式などがあるが、日本では数頭ずつをまとめて牛舎に入れる(追い込み式牛舎)群飼方式が一般的である。運動不足による関節炎の予防や蹄の正常な状態を保つためには放牧又は運動場での放飼が必要であるが、国内では88%が運動場での放飼を行っていない[26]。また日本では放牧は繁殖雌牛を用いたものはあるが、肥育牛に適用した例はほぼない[27]。そのため日本の77%の農家が削蹄を行っている。削蹄は年2回が望ましいが、年に1回もしくは1回未満の農場が78%を占める[28][29]。
肥育前期(7か月程度)は牛の内臓(特に胃)と骨格の成長に気をつけ、粗飼料を給餌される。肥育中期から後期(8-20か月程度)にかけては高カロリーの濃厚飼料を給餌され、筋肉の中に脂肪をつけられる(筋肉の中の脂肪は「さし」とよばれ、さしの多いものを霜降り肉と言う)。
肉用牛は、生後2年半から3年、体重が700kg前後で出荷され、屠殺される。
繁殖雌牛
編集肉牛を産むための雌牛(繁殖用雌牛)は、繁殖用として優れた資質・血統をもつ雌牛が選ばれる。繁殖用雌牛は、生後14か月から16か月で初めての人工授精(1950年に家畜改良増殖法が制定され、人工授精普及の基盤が確立し、今日では日本の牛の繁殖は99%が凍結精液を用いた人工授精によってなされている。[30]約10か月(285日前後)で分娩する。生産効率を上げるため、1年1産を目標に、分娩後約80日程度で次の人工授精が行われる。8産以上となると、生まれた子牛の市場価格が低くなり、また繁殖用雌牛の経産牛の肉としての価格も低くなる場合があるため[31]、標準的には6-8産で廃用となり、屠殺される。また、受胎率が悪かったり、生まれた子牛の発育が悪かったりすると、早目に廃用となる。
外科的処置と動物福祉
編集断角・除角
編集牛は、飼料の確保や社会的順位の確立等のため、他の牛に対し、角を用いて争うことがある。肉牛は牛舎内での高密度の群飼い(狭い時で1頭当たり5m2前後)されるのが一般的なため[26]、ケガが発生しやすく、肉質の低下に繋がることもある。また管理者が死傷するリスクもある。これらを防止するため、牛の除角(牛がまだ小さいころに、焼き鏝や刃物、薬剤などで角芽を除去すること)あるいは断角(角が成長してから切断すること)が実施される。2024年の調査では、日本では肉牛の71.1%、乳牛の89.7%が断角/除角されていると推定される[32]。断角/除角は激痛を伴い牛への負担が大きく、ショック死する例も報告されている[33]。実施時に麻酔を使用する農家は肉牛で17.3%、乳牛で14%と低い[34][26]。断角/除角の方法は、腐食性軟膏や断角器、焼きごて、のこぎり、頭蓋骨から角をえぐり取る除角スプーンなどを使う[35]。
農水省が普及に努めている「アニマルウェルフェアの考え方に対応した飼養管理指針」では肉牛、乳牛ともに「除角によるストレスが少ないと言われている焼きごてでの実施が可能な角が未発達な時期(遅くとも生後2ヵ月以内)に実施することが推奨される」。だが実際には、乳牛では45%、肉牛では85%が3ケ月齢以上で断角/除角されている[34][26]。肉牛は肥育開始か繁殖用に供用される10カ月齢前後で無麻酔で実施されることが多い[36]。
去勢
編集日本国内では、去勢しないとキメが粗くて硬く、消費者に好まれない牛肉に仕上がったり、牛舎内での闘争が激しくなり、ケガが発生しやすくなったりするという理由から、肉用牛のオスは一般的に去勢される[26]。ただし、肉用雄牛の去勢は世界共通ではなく、例えばEUでは肉用オス牛の8割は未去勢で出荷される[37]。
去勢の方法は、陰嚢を切開して、精索と血管を何度か捻りながら、引いてちぎる観血去勢法、皮膚の上からバルザックやゴムリングを用いて挫滅、壊死させる無血去勢法が一般的。観血去勢では術中や術後の消毒不足や敷料等が傷口に入ることで化膿や肉芽腫の形成等が見られることがある[38]。日本も加盟するOIEの肉用牛の動物福祉規約[39]及び国内のアニマルウェルフェア指針には、3ヶ月齢より前の実施、鎮静剤や麻酔の検討が推奨されているが、日本の肉牛の90.9%は3ヵ月以上で去勢されており[26]、麻酔や鎮痛対策がされないケースもある。研究では去勢時に麻酔や鎮痛対策を行えば、アニマルウェルフェアだけでなく生産性(価格)にもプラスの効果があるとされる[36]。
鼻環(鼻ぐり)
編集鼻環による痛みを利用することで、牛の移動をスムーズにさせ、調教しやすくできる。日本の肉牛農家では83.6%で鼻環の装着が行われていると推定される[32](乳牛における装着率は不明)。鼻環通しで麻酔は使用されない。農水省が普及に努めている「アニマルウェルフェアの考え方に対応した肉用牛の飼養管理指針」は鼻環の装着について「牛へのストレスを極力減らし、可能な限り苦痛を生じさせないよう、素早く適切な位置に装着すること」としている。
安楽死
編集治療を行っても回復の見込みがない場合や、著しい生育不良や虚弱で正常な発育に回復する見込みのない場合などは、農場内でできる限り苦痛のない殺処分を行うことが求められている[40]。しかしながら、2024年のアンケート調査によると肉用牛農家の33%、乳用牛農家の15%が安楽死を実施していない[41][42]。
ケア
編集- 毛刈り
- ブラッシング
- 舌や壁などに擦り付けてセルフグルーミングを行う。また人間が行うことで信頼関係が構築され[43]、同時に人間にもストレス軽減効果が確認される[44]。カウブラシ(牛体ブラシ)という自分でブラッシングを行う装置もある[45][46][47]。
- 削蹄・蹄鉄
- 家畜の牛は運動量が無いため人間(削蹄師)が削る作業が行われる[48]。また逆に労役を行う牛には蹄鉄が取り付けられる。
- 牛舎洗浄・牛床清掃
- 敷料やふん尿を除去して、消毒剤で洗浄する[49]。
- 牛体洗浄(鎧落とし)
- 千葉県鴨川市では、牛洗いという行事が行われる[50]。
牛が釘などを食べた場合、胃を保護するため、磁石を呑み込ませておくこともあるという。
病気
編集給餌がひきおこす疾患
編集牛は粗い植物を食べて成長、繁殖するよう進化してきた生き物であるが、肉牛経営では生産性を高めるために炭水化物を多く含んだ濃厚飼料が多給されており、動物福祉的に問題視されている。調査では、高値で取引される等級の高い肉において、水腫や肺疾患が多かったと報告されており、原因として濃厚飼料の多給やビタミンAの給与制限などの偏った給餌が指摘された[51]。
霜降り肉を作るためには、筋肉繊維の中へ脂肪を交雑させる、という通常ではない状態を作り出さなければならない。そのため、脂肪細胞の増殖を抑える働きのあるビタミンAの給与制限が行われる。ビタミンA欠乏が慢性的に続くと、光の情報を視神経に伝えるロドプシンという物質が機能しなくなる。重度になり、瞳孔が開いていき、弱視・失明に至ることがある[52][53]。ビタミンA欠乏の徴候が表れた場合カロテンを含んだ飼料やビタミン剤の投与でこれを補う必要がある。
舌遊び
編集舌を口の外へ長く出したり左右に動かしたり、丸めたり、さらには柵や空の飼槽などを舐める動作を持続的に行うことを指す。粗飼料不足や、繋留、単飼(1頭のみで飼育する)などの行動抑制が要因とされており、そのストレスから逃れるためにこの行動が発現する。舌遊び行動中は心拍数が低下することが認められている。また生産サイクルをあげるために、産まれてすぐに母牛から離されることも舌遊びの要因とされている。「子牛は自然哺乳の場合1時間に6000回母牛の乳頭を吸うといわれている。その半分は単なるおしゃぶりにすぎないが、子牛の精神の安定に大きな意味をもつ。子牛は母牛の乳頭に吸い付きたいという強い欲求を持っているが、それが満たされないため、子牛は乳頭に似たものに向かっていく。成牛になっても満たされなかった欲求が葛藤行動として「舌遊び」にあらわれる」[54]。
実態調査では、種付け用黒毛和牛の雄牛の100%、同ホルスタイン種の雄牛の6%、食肉用に肥育されている去勢黒毛和牛の雄牛の76%、黒毛和牛の雌牛の89%、ホルスタイン種の17%で舌遊び行動が認められたとある[55]。
中毒
編集稀なケースであるが、牧場内に広葉樹がありドングリが採餌できる環境にあると、ドングリの成分であるポリフェノールを過剰摂取してしまい中毒死することがある[56]。
乳牛特有の病気について
編集主要品種
編集ヨーロッパ由来品種
編集- アバディーン・アンガス種(無角牛、スコットランド原産、肉牛)
- アングラー種(ドイツ原産、乳肉兼用)
- ウェルシュブラック種(イギリス原産、乳肉兼用)
- エアシャー種(スコットランド原産、乳牛)
- ガンジー種 (イギリス領ガンジー島原産、乳牛 )
- キアニーナ種(イタリア原産、役肉兼用 欧州系で最大の標準体型を持つ)
- ギャロレー種(イギリス原産、肉用)
- グロニンゲン種(オランダ原産、乳肉兼用)
- ケリー種(アイルランド原産、乳用)
- ゲルプフィー種(ドイツ原産、肉用)
- サウスデボン種(イギリス原産、乳肉兼用)
- ジャージー種(イギリス領ジャージー島原産、乳牛)
- シャロレー種(フランス原産、肉牛)
- ショートホーン種(スコットランド原産、肉牛)
- シンメンタール種(スイス原産、乳肉兼用)
- スウェーデンレッドアンドホワイト種(スウェーデン原産、乳用)
- デキスター種(イギリス原産、乳肉兼用)
- デボン種(イギリス原産、肉用)
- デーリィショートホーン種(イギリス原産、乳肉兼用)
- ノルウェーレッド種(ノルウェー原産、乳用)
- ノルマン種(フランス原産、乳肉兼用)
- ハイランド種(イギリス原産、肉用)
- パイルージュフランドル種(ベルギー原産、乳肉兼用)
- ピンツガウエル種(オーストリア原産、肉用)
- フィンランド種(フィンランド原産、乳用)
- ブラウンスイス種(スイス主産、乳肉兼用)
- ヘレフォード種(イングランド原産、肉牛)
- ホルスタイン種(オランダ原産、乳牛、黒と白の模様で日本でもよく知られる)
- ホワイトベルテッドギャラウェイ種(スコットランド原産)
- マルキジアーナ種(イタリア原産、役肉兼用)
- マレーグレー種(オーストラリア原産、肉牛)
- ミューズラインイーセル種(オランダ原産、乳肉兼用)
- ムーザン種(フランス原産、肉用)
- モンベリエール種(フランス原産、乳肉兼用)
- リンカーンレッド種(イギリス原産、乳肉兼用)
- レッドデーニッシュ種(アイルランド原産、乳肉兼用)
- レッドポール種(イギリス原産、乳肉兼用)
- ロートフィー種(ドイツ原産、肉用)
- ロマニョーラ種(イタリア原産、役肉兼用)
アジア由来品種
編集日本由来品種
編集
飼育数
編集世界に棲息する牛のうち、家畜として飼育されている頭数に関しては、国際連合食糧農業機関 (FAO) による毎年の調査結果が、1990年以降公表されている[57]。統計には、一般的な牛のほか、コブウシ、ガウルなどのアジア牛、ヤクを含む[57]。スイギュウやバイソンは含まない[57]。
牛を聖なる動物と見なすヒンドゥー教の影響もあってインドが世界を圧倒する飼育頭数で知られ、長らく世界一の座を占めていた。しかし、2003年にブラジルがインドに換わって世界第1位となった[58]。これは、アマゾン熱帯雨林の破壊と牧場開発が以前にも増して急速に進み、アマゾン地方の牛飼育頭数が激増してきた結果であった。 2008年には再びインドが第1位になったものの、インド・ブラジル両国の頭数はほぼ拮抗している[58]。
牛の飼育数は新興国を中心に増え続けており2020年の推定総頭数は15億2593万9479頭である[59]。
2020 | 2010 | 2000 | 1990 | 1980 | 1970 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
世界 | - | 1525939479 | - | 1411583223 | - | 1319963140 | - | 1296612992 | - | 1216999022 | - | 1081612612 |
ブラジル | 1 | 218150298 | 1 | 209541109 | 2 | 169875524 | 2 | 147102320 | 2 | 118971424 | 4 | 75446704 |
インド | 2 | 194482355 | 2 | 194184992 | 1 | 191924000 | 1 | 202500000 | 1 | 186500000 | 1 | 177442000 |
アメリカ | 3 | 93793300 | 3 | 94081200 | 4 | 98199000 | 4 | 95816000 | 4 | 111242000 | 2 | 112369008 |
エチオピア | 4 | 70291776 | 5 | 53382192 | 7 | 33075330 | 8 | 30000000 | 9 | 26000000 | 7 | 26231504 |
中国 | 5 | 61128843 | 4 | 68871241 | 3 | 104553559 | 5 | 77909675 | 6 | 52496213 | 5 | 57616205 |
アルゼンチン | 6 | 54460799 | 6 | 48949744 | 5 | 48674400 | 6 | 52845000 | 5 | 55760496 | 6 | 48439648 |
パキスタン | 7 | 49624000 | 8 | 34285000 | 15 | 22004000 | 15 | 17677008 | 16 | 15038000 | 14 | 14584000 |
メキシコ | 8 | 35639209 | 9 | 32642134 | 8 | 30523735 | 7 | 32054304 | 7 | 27742000 | 9 | 22798000 |
チャド | 9 | 32237209 | 16 | 19221000 | 23 | 11460000 | 49 | 4297300 | 46 | 4360000 | 40 | 4500000 |
スーダン | 10 | 31757266 | 7 | 41761000 | 6 | 37093000 | 13 | 21027800 | 14 | 18354416 | 17 | 12300000 |
コロンビア | 12 | 28245262 | 10 | 27329066 | 12 | 24363700 | 9 | 24383504 | 10 | 23945488 | 12 | 20200000 |
バングラデシュ | 13 | 24391000 | 12 | 23051000 | 14 | 22310000 | 10 | 23244000 | 12 | 21556000 | 8 | 25686000 |
オーストラリア | 14 | 23503238 | 11 | 26733000 | 10 | 27588000 | 11 | 23162208 | 8 | 26202704 | 10 | 22162464 |
ロシア | 18 | 18126003 | 13 | 20671328 | 9 | 28060323 | 3 | 118388000 | 3 | 115100000 | 3 | 95162000 |
日本 | 60 | 3907000 | 56 | 4376000 | 51 | 4588000 | 45 | 4760000 | 48 | 4248000 | 50 | 3622000 |
歴史
編集世界
編集ウシは新石器時代に西アジアとインドで野生のオーロックスが別個に家畜化されて生まれた。学説としては、西アジアで家畜化されたものが他地域に広がったという一元説が長く有力であった[60][61]。ところが、1990年代になされたミトコンドリアDNAを使った系統分析で、現生のウシがインド系のゼブ牛と北方系のタウルス牛に大きく分かれ、その分岐時期が20万年前から100万年前と推定された。これは、せいぜい1万年前とされるウシの家畜化時期よりはるかに古い。そこで、オーロックスにもとからあった二系統が、人類によって別々に家畜化された結果、今あるゼブ牛、タウルス牛となったという二元説が広く支持されている[62][61]。
ウシは、亜種関係のゼブ牛・タウルス牛の間はもとより、原種のオーロックスとも問題なく子孫を残せるので、家畜化された後に各地で交雑が起こった。遺伝子分析によれば、ヨーロッパの牛にはその地のオーロックスの遺伝子が入り込んでいる。東南アジアとアフリカの牛は、ゼブ牛とタウルス牛の子孫である[63]。さらに、東南アジア島嶼部のウシには、別種だがウシとの交雑が可能なこともあるバンテンの遺伝子が認められる[63]。
ウシの家畜化は、ヤギやヒツジと比べて遅れた。オーロックスは獰猛で巨大な生物であったので、小型の動物で飼育に習熟してはじめて家畜化に成功したと考えられている。しかしいったん家畜化されると、ウシはその有用性によって牧畜の中心的存在となった。やがて成立したエジプト文明やメソポタミア文明、インダス文明においてウシは農耕用や牽引用の動力として重要であり、また各種の祭式にも使用された。紀元前6世紀初頭にはメソポタミアにおいてプラウ(犁)が発明され、その牽引力としてウシはさらに役畜としての重要度を増した。このプラウ使用はこれ以降の各地の文明にも伝播した。
ウシはやがて世界の各地へと広がっていった。ヨーロッパではウシは珍重され、最も重要な家畜とされていた。8世紀後半ごろには車輪付きのプラウが開発され、またくびきの形に改良が加わることで牽引力としての牛はさらに重要となった[64]。牛肉はヨーロッパ全域で食用とされ、中世の食用肉のおよそ3分の2は牛肉で占められていた[65]。ヨーロッパ北部では食用油脂の中心はバターであり、また牛乳も盛んに飲用された[66]。ヨーロッパ南部では食用油脂の中心はオリーブオイルであり、牛乳の飲用もさほど盛んでなかったが、牛肉は北部と比べ盛んに食用とされた[65]。
アフリカにおいてはツェツェバエの害などによって伝播が阻害されたものの、紀元前1500年ごろにはギニアのフータ・ジャロン山地でツェツェバエに耐性のある種が選抜され[67]、西アフリカからヴィクトリア湖畔にかけては紀元前500年頃までにはウシの飼育が広がっていた[68]。インドにおいてはバラモン教時代はウシは食用となっていたが、ヒンドゥー教への転換が進む中でウシが神聖視されるようになり、ウシの肉を食用とすることを禁じるようになった。しかし、乳製品や農耕用としての需要からウシは飼育され続け、世界有数の飼育国であり続けることとなった。
新大陸にはオーロックスが存在せず、1494年にクリストファー・コロンブスによって持ち込まれたのが始まりである。新大陸の気候風土にウシは適合し、各地で飼育されるようになった[69]。とくにアルゼンチンのパンパにおいては、持ち込まれた牛の群れが野生化し、19世紀後半には1,500万頭から2,000万頭にも達した。このウシの群れに依存する人々はガウチョと呼ばれ、アルゼンチンやウルグアイの歴史上重要な役割を果たしたが、19世紀後半にパンパ全域が牧場化し野生のウシの群れが消滅すると姿を消した。北アメリカ大陸においてもウシは急速に広がり、19世紀後半には大陸横断鉄道の開通によってウシを鉄道駅にまで移送し市場であるアメリカ東部へと送り出す姿が見られるようになった。この移送を行う牧童はカウボーイと呼ばれ、ウシの大規模陸送がすたれたのちもその独自の文化はアメリカ文化の象徴となっている。
1880年代には冷凍船が開発され、遠距離間の牛肉の輸送が可能となった。これはアルゼンチンやウルグアイにおいて牧場の大規模化や効率化をもたらし、牛肉輸出は両国の基幹産業となった[69]。また、鉄道の発達によって牛乳を農家から大都市の市場へと迅速に大量に供給することが可能になったうえ、ルイ・パスツールによって低温殺菌法(パスチャライゼーション)が開発され、さらに冷蔵技術も進歩したことで、チーズやバターなどの乳製品に加工することなくそのまま牛乳を飲む習慣が一般化した[70]。こうした技術の発展によって、ウシの利用はますます増加し、頭数も増加していった。
日本列島
編集日本列島では東京都港区の伊皿子貝塚から弥生時代の牛骨が出土したとされるが、後代の混入の可能性も指摘される[71]。日本のウシは、中国大陸から持ち込まれたと考えられている。古墳時代前期にも確実な牛骨の出土はないが、牛を形象した埴輪が存在しているため、この頃には飼育が始まっていたと考えられている[71]。古墳後期(5世紀)には奈良県御所市の南郷遺跡から牛骨が出土しており、最古の資料とされる[71]。
当初から日本では役畜や牛車の牽引としての使用が主であったが、牛肉も食されていたほか、牛角・牛皮や骨髄の利用も行われていたと考えられている。675年に天武天皇は、牛、馬、犬、猿、鶏の肉食を禁じた。禁止令発出後もウシの肉はしばしば食されていたものの、禁止令は以後も鎌倉時代初期に至るまで繰り返して発出され[72]、やがて肉食は農耕に害をもたらす行為とみなされ、肉食そのものが穢れであるとの考え方が広がり、牛肉食はすたれていった。8世紀から10世紀ごろにかけては酪や、蘇、醍醐といった乳製品が製造されていたが、朝廷の衰微とともに製造も途絶え、以後日本では明治時代に至るまで乳製品の製造・使用は行われなかった。
また、広島県の草戸千軒町遺跡出土の頭骨のない牛の出土事例などから頭骨を用いた祭祀用途も想定されており、馬が特定の権力者と結びつき丁重に埋葬される事例が見られるのに対し、牛の埋葬事例は見られないことが指摘されている。
古代の日本では総じて牛より馬の数が多かった[73]。平安時代の『延喜式』では、東国すべての国で蘇が貢納されており、牛の分布の地域差は大きくなかったようである[74]。ところが中世に入ると馬は東国、牛は西国という地域差が生まれた。東国では武士団の勃興に伴い馬が主体の家畜構成になったと考えられている[75]。東西の地域差は明治時代のはじめまで続いており、明治初期の統計では、伊勢湾と若狭湾を結ぶ線を境として東が馬、西が牛という状況が見て取れる[76]。
牛肉食は公的には禁忌となったものの、実際には細々と食べ続けられていたと考えられている。戦国時代にはポルトガルの宣教師たちによって牛肉食の習慣が一部に持ち込まれ、キリシタン大名の高山右近らが牛肉を振舞ったとの記録もある[77]ものの、禁忌であるとの思想を覆すまでにはいたらず、キリスト教が排斥されるに伴い牛肉食は再びすたれた。江戸時代には生類憐みの令によってさらに肉食の禁忌は強まったが、大都市にあったももんじ屋と呼ばれる獣肉店ではウシも販売され、また彦根藩は幕府への献上品として牛肉を献上しているなど、まったく途絶えてしまったというわけではなかった[78]。しかし、日本においてウシの主要な用途はあくまでも役牛としての利用であり続けた。
日本においてウシが公然と食されるようになるのは明治時代である。文明開化によって欧米の文化が流入する中、欧米の重要な食文化である牛肉食もまた流れ込み、銀座において牛鍋屋が人気を博すなど、次第に牛肉食も市民権を得ていった。また、乳製品の利用・製造も復活した。
信仰の対象
編集人間に身近で、印象的な角を持つ大型家畜である牛は、世界各地で信仰の対象や動物に関連する様々な民俗・文化のテーマになってきた。
農耕を助ける貴重な労働力である牛を殺して神に供える犠牲獣とし、そこから転じて牛そのものを神聖な生き物として崇敬することは、古代より永くに亘って広範な地域で続けられてきた信仰である。
古代エジプト
編集古代エジプト人はオシリス、ハトホル信仰を通して雄牛(ハピ、ギリシャ名ではアピス)を聖牛として崇め、第一王朝時代(紀元前2900年ごろ)には「ハピの走り」と呼ばれる行事が行われていた[79]。創造神プタハの化身としてアピス牛信仰は古代エジプトに根を下ろし、ラムセス2世の時代にはアピス牛のための地下墳墓セラペウムが建設された[79]。聖牛の特徴とされる全身が黒く、額に白い菱形の模様を持つウシが生まれると生涯神殿で手厚い世話を受け、死んだ時には国中が喪に服した。一方、普通のウシは食肉や労働力として利用されていたことが壁画などから分かっている。
インド
編集主にインドで信仰されているヒンドゥー教では牛、特にコブウシを神聖視している。スイギュウは信仰の対象ではない。
このためインドは牛の飼育頭数は多いものの、牛肉食を忌避する国民が多い。食のタブーとして肉食されることが少ない。
インドでは従来も州により、牛肉の扱いを規制していた。2017年5月26日にはインド連邦政府が、食肉処理を目的とした家畜市場における牛の売買を禁止する法令を出した。これに対して、イスラム教徒や世俗主義者から「食事の選択権に対する侵害」として反対運動や訴訟が起き[80]、インド最高裁判所は7月11日に法令差し止めを決めた[81]。インドでは牛肉を売ったり、食べたりしたと思われた人が殺害される事件も起きている[82]。
インダス文明でも牛が神聖視されていた可能性があり、インド社会における係る概念の永続性は驚くべきものがある。また、興奮した牛の群れにあえて追われるスペインなどラテン文化圏の祭事「エンシエロ」、聖なる牛の群れに踏まれることでその年の幸運を得ようとするムガル帝国時代より続くヒンドゥー教の祭事「ゲーイ・ガウーリ」(ディーワーリーの期間中に行われる祭事の一つ)など、過激な伝統行事もある。
日本
編集日本でも牛(丑)は十二支の鳥獣に入っているほか、牛頭天王のような神や、牛鬼など妖怪のモチーフになっている。また、身近にいる巨大な哺乳類であることから、その種の中で大きい体格を持つ生き物の和名に用いられることがある(ウシエビ、ウシガエル、ウシアブなど)。
紋章
編集牛が紋章に描かれることは一般的である。
-
トリノ(イタリア)の紋章
-
ランボルギーニのロゴ
-
カウナス(リトアニア)の紋章
-
Bielsk Podlaski(ポーランド)の紋章
-
Turek(ポーランド)の紋章
環境問題
編集ウシは反芻動物であり、反芻を繰り返すことにより、飼料を微生物が分解しメタンガスが発生する。これは地球温暖化の深刻な一因と言われており[83]、アメリカではメタンの総発生量の26パーセントが牛のげっぷによるものである[84]。3-ニトロオキシプロパノール(3NOP)と呼ばれる成分を餌に混ぜるなどしてげっぷを少なくする研究が進んでいる[84]。
慣用句
編集- 「牛にひかれて善光寺参り」 - 人に連れられて思いがけず行くこと。昔、老婆がさらしておいた布を牛が引っ掛けて善光寺に駆け込んだので、追いかけた老婆はそこが霊場であることを知り、以後たびたび参詣したという伝説から。
- 「牛の歩み(牛歩)」 - 進みの遅いことの譬え。
- 「牛の角を蜂が刺す」 - 牛の硬い角には蜂の毒針も刺さらないことから、何とも感じないこと。
- 「牛の寝た程」 - 物の多くあるさまの形容。
- 「牛は牛づれ(馬は馬づれ)」 - 同じ仲間同士は一緒になり、釣り合いが取れるということ。
- 「牛は水を飲んで乳とし、蛇は水を飲んで毒とす」 - 同じものでも使い方によっては薬にも毒にもなることの譬え。
- 「牛も千里、馬も千里」 - 遅いか早いかの違いはあっても、行き着くところは同じということ。
- 「牛を売って牛にならず」 - 見通しを立てずに買い換え、損することの譬え。
- 「牛飲馬食」 - 牛や馬のように、たくさん飲み食いすること。「鯨飲馬食」ともいう。
- 「牛耳る(牛耳を執る)」 - 団体・集団の指導者となって指揮を執ること。
- 「商いは牛の涎」 - 細く長く垂れる牛の涎(よだれ)のように、商売は気長に辛抱強くこつこつ続けることがコツだという譬え。
- 「角を矯めて牛を殺す」- 些細な欠点を矯正しようとして却って全体を台無しにすること。
- 「九牛の一毛」 - 非常に多くの中の極めて少ないもの。
- 「暗がりから牛」 - 物の区別がはっきりしないこと。あるいはぐずぐずしていることの譬え。
- 「鶏口となるも牛後となるなかれ(牛の尾より鶏の口、鶏口牛後)」 - 大集団の下っ端になるより小集団でも指導者になれということ。人の下に甘んじるのを戒める、もしくは、小さなことで満足するを否とする言葉。
- 「牛なし、帽子ばっかり(all hat and no cattle)」ファッションでカウボーイの帽子をかぶっていても、牛は持っていない。見かけだおし、格好だけの人のこと。テキサス州の慣用表現。
符号位置
編集記号 | Unicode | JIS X 0213 | 文字参照 | 名称 |
---|---|---|---|---|
🐮 | U+1F42E |
- |
🐮 🐮 |
COW FACE |
🐂 | U+1F402 |
- |
🐂 🐂 |
OX |
🐄 | U+1F404 |
- |
🐄 🐄 |
COW |
脚注
編集注釈
編集出典
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- ^ a b 小学館『精選版 日本国語大辞典』、三省堂『大辞林』第3版. “牝牛・雌牛 めうし”. コトバンク. 2019年8月4日閲覧。
- ^ 小学館『デジタル大辞泉』. “種雌牛”. コトバンク. 2019年8月5日閲覧。
- ^ 小学館『精選版 日本国語大辞典』. “種牛 シュギュウ”. コトバンク. 2019年8月5日閲覧。
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参考文献
編集- ブリュノ・ロリウー 著、吉田春美 訳『中世ヨーロッパ食の生活史』原書房、2003年10月。
- 市川健夫、市川健夫先生著作集刊行会『牛馬と人の文化誌』 3巻、第一企画〈日本列島の風土と文化:市川健夫著作選集〉、2010年。ISBN 978-4-90-267615-0。
- 初出は『地理』第20巻第11号、1975年11月、「文化地理の指標としての家畜」。
- 松川正 著、正田陽一 編『品種改良の世界史 家畜編』悠書館、2010年11月。ISBN 978-4-90-348740-3。
関連項目
編集外部リンク
編集- 牛の博物館
- 丑のはなし - 神社本庁(ウェブアーカイブ、2014年2月26日) - http://www.jinjahoncho.or.jp/column/000023.html
- 『ウシ』 - コトバンク