片桐為次
日本の江戸時代前期の大名。大和竜田藩3代藩主片桐為元長男で、竜田藩4代藩主(無嗣改易)
片桐 為次(かたぎり ためつぐ、寛永18年(1641年) - 明暦元年11月6日(1655年12月3日))は、大和竜田藩の第4代(最後)の藩主。且元系片桐家4代。第3代藩主・片桐為元の長男。母は酒井忠重の娘。初代藩主片桐且元は祖父にあたる。
幼名は助作。承応3年(1654年)、父の死去により跡を継ぐが、翌年11月6日に15歳で死去した。嗣子がなく、竜田藩は無嗣改易となった。
明暦2年(1656年)2月19日、家系は旧勲により弟の且昭(かつてる)に名跡相続が許され、旗本(3000石)として続く。しかし、且昭も嗣子がなく、さらに小泉藩主片桐貞昌の次男片桐貞明の子貞就(さだなり)を迎えたが、貞就にも嗣子がなく、且元系片桐家は断絶した。
出典
編集- “片桐為次 【かたぎり-ためつぐ】”. コトバンク. 2013年10月26日閲覧。
- 「片桐助作為次」『大名廃絶読本』、読本シリーズ第3号、新人物往来社、293頁、1991年。