熊谷膳直
熊谷 膳直(くまがい よしなお)は室町時代後期の武将。安芸熊谷氏当主。父は熊谷宗直[1]。子に熊谷元直[2]。官途は民部少輔。
時代 | 室町時代後期 |
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生誕 | 享徳2元年(1453年) |
死没 | 永正12年5月14日(1515年6月25日) |
別名 | 通称:次郎三郎 |
官位 | 民部丞、民部少輔 |
主君 | 武田元信 |
氏族 | 桓武平氏国香流熊谷氏 |
父母 | 父:熊谷宗直 |
子 | 元直 |
安芸武田氏の家臣として活躍する一方、分裂した熊谷氏の統一を図り勢力を向上させた。
生涯
編集熊谷氏の一族らしく武勇の人であったようで、明応8年(1499年)9月には温科国親が武田元信から離反した際にその討伐を行い、恩賞として温科氏の旧領を与えられている。
当時の熊谷氏は所領を一族で分割しており、必然的に惣領を中心とした惣領制にするために苦心を重ねていた。熊谷膳直は、自身の治世時に分家筋である新庄熊谷氏を滅ぼして、分割されていた熊谷氏の勢力を一本化させ、来たるべき戦国時代へ備えている。なお、この時に滅ぼした新庄熊谷氏の熊谷直房とその嫡子、熊谷直重は赦されて、名字を熊谷から桐原に変え、家臣として仕えた。
永正3年(1506年)に膳直の嫡男・元直が主君の武田元繁より所領を与えられているため、この頃には家督が元直に移行していたと考えられる。
永正12年(1515年)5月14日に伊勢ヶ坪城において死去。享年63。更に僅か2年後の永正14年(1517年)に嫡男の元直が戦死し、熊谷氏と主家の武田氏との関係も不穏になっていくのである。
脚注
編集- ^ 今井尭ほか編 1984, p. 335.
- ^ 今井尭ほか編 1984, p. 336.
参考文献
編集- 今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多・小西四郎・竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQ。ISBN 4404012403。 NCID BN00172373。OCLC 11260668。全国書誌番号:84023599。
- 『萩判閥閲録』巻27「熊谷帯刀」
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