熊谷直貞 (戦国武将)
安芸国の国人領主熊谷氏の一族、毛利氏家臣
熊谷 直貞(くまがい なおさだ)は、安土桃山時代の武士。毛利氏の家臣。
時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 天正4年(1576年) |
死没 | 慶長元年5月2日(1596年5月28日) |
別名 | 通称:小才次 |
主君 | 毛利輝元 |
氏族 | 桓武平氏国香流熊谷氏 |
父母 | 父:熊谷元直、母:佐波隆秀娘 |
兄弟 | 直貞、次郎兵衛、猪ノ助 |
妻 | 穂井田元清娘 |
子 | 元貞 |
生涯
編集天正4年(1576年)、安芸国の国人・熊谷氏の当主である熊谷元直の嫡男として誕生。
慶長元年(1596年)5月2日、家督を継がないまま、父に先立ち病没。享年21。活動歴が短く、その詳細な活動は不明。
直貞の死後の慶長10年(1605年)、父・元直は萩城築城の遅れを名目に毛利輝元によって誅殺され、直貞の弟である次郎兵衛や猪ノ助らも処刑された(五郎太石事件)。また、この事件に連座して、天野元明に嫁いだ叔母も処刑された。直貞の嫡男・元貞は母方の叔父にあたる毛利秀元の下に逃れ、後に赦免され熊谷氏を再興した。
系譜
編集参考文献
編集- 『萩藩閥閲録』巻27「熊谷帯刀」