熊谷元貞

安土桃山時代から江戸時代初期の武将

熊谷 元貞(くまがい もとさだ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将安芸国国人であった熊谷氏の当主。毛利氏家臣で長州藩士。父は熊谷直貞で、母は穂井田元清の娘。子に熊谷主膳正(実名不詳)。

 
熊谷元貞
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 文禄4年(1595年
死没 元和9年1月5日1623年2月4日
改名 熊谷千代寿(幼名)→熊谷元貞
別名 通称:次郎三郎
官位 丹後守
主君 毛利秀就
長州藩
氏族 桓武平氏国香流熊谷氏
父母 父:熊谷直貞、母:穂井田元清の娘
主膳正
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生涯

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文禄4年(1595年)、熊谷直貞の嫡男として生まれる。

慶長元年(1596年1月5日に父・直貞が21歳で病死し、慶長10年(1605年7月2日には、祖父の元直萩城築城の遅れの責任を負わされて処刑された上、叔父の次郎兵衛猪ノ助らも処刑された(五郎太石事件)。この時、元貞は家臣の桐原惣右衛門に連れられ、母方の叔父にあたる長府藩主・毛利秀元の下に身を寄せた。後に元貞は赦され、熊谷氏の家督を継いだ。

慶長20年(1615年)5月の大坂夏の陣で奮戦して勲功を挙げ、その恩賞として寄組の地位と長門国厚狭郡吉田村[1]と長門国豊浦郡殿敷[2]等で3000石を与えられ、吉田村に居を構えた。

元和9年(1623年1月5日に死去。享年29。嫡男の主膳正が後を継いだ。

脚注

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  1. ^ 現在の山口県下関市吉田
  2. ^ 現在の山口県下関市豊田町大字殿敷。

参考文献

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