熊坂蘭斎
熊坂 蘭斎(くまさか らんさい、1799年(寛政11年) - 1875年(明治8年)11月14日)は、江戸時代後期から明治時代初期にかけての蘭学者、医師。松前藩士[1]。名は助嘉。
生い立ち
編集1799年(寛政11年)、陸奥国伊達郡保原町(現・福島県伊達市)に生まれる。諸国をめぐって医をおさめ、長崎で蘭学、眼科を学ぶ。松前藩につかえ、のちに藩医になる[2]。
家族
編集兄は南画家の熊坂適山。親戚に高子二十境創設者の熊坂覇陵、その子で「含餳紀事」を出版した熊坂台州がいる。また長井氏家臣の熊坂利衛門、伊達氏家臣の熊坂宇衛門は蘭斎の先祖にあたる[3]。
著書
編集- 『軽騎加剌別印姿掣』
- 『山水唐画指南』
- 『竹石帖』
- 『適山画譜』
脚注
編集- ^ “松前藩家臣名簿:か行”. kakei-joukaku.la.coocan.jp. 2021年3月27日閲覧。
- ^ 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “熊坂蘭斎(くまさか らんさい)とは”. コトバンク. 2020年4月9日閲覧。
- ^ “山形県中世遺跡”. p. 44. 2021年7月10日閲覧。