瀬戸神社

横浜市金沢区にある神社

瀬戸神社(せとじんじゃ)は、神奈川県横浜市金沢区瀬戸にある神社瀬戸三島明神とも呼ばれる。旧社格郷社。現在は宗教法人となり、神奈川県神社庁献幣使参向神社となっている。

瀬戸神社

鳥居と拝殿
所在地 神奈川県横浜市金沢区瀬戸18-14
位置 北緯35度19分57.1秒 東経139度37分19.1秒 / 北緯35.332528度 東経139.621972度 / 35.332528; 139.621972座標: 北緯35度19分57.1秒 東経139度37分19.1秒 / 北緯35.332528度 東経139.621972度 / 35.332528; 139.621972
主祭神 大山祇神など11柱
社格郷社
創建 治承4年(1180年[1]
別名 瀬戸三島明神
例祭 5月15日
地図
瀬戸神社の位置(神奈川県内)
瀬戸神社
瀬戸神社
地図
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由緒・歴史

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古代、現在の泥亀町から釜利谷東にわたる一帯は入り江となっており、現在当社のある辺りの狭い水路によって平潟湾につながっていた。この水路は罪穢を流し去る神聖な場所として、海神が祀られるようになった[2]

境内やその周辺は縄文時代以来人類が生活していた場所で、「瀬戸神社旧境内地内遺跡」と呼ばれている。1987年(昭和62年)以来の幾度かの発掘調査で、縄文海進期の波蝕台縄文土器(縄文早期)、古墳時代土師器貝塚室町時代から江戸時代にいたる貝塚や陶磁器遺構などが発掘されている[3]

治承4年(1180年)、源頼朝伊豆で挙兵した際に加護をもらった伊豆三島明神(現:三嶋大社)をこの地に勧請し、社殿を建立した。これが今日に至る瀬戸神社の創建である。

室町時代には、鎌倉公方が瀬戸神社を参拝する慣例があり、『鎌倉年中行事』にも4月8日を恒例の参拝日として記述している[4]

祭神

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祭神は主神が大山祇神伊予国大三島大山祇神社伊豆国三嶋大社と同神で、別名を「渡しの大神」と言う[5]

他に配神として須佐之男命菅原道真公など11柱。

祭事

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文化財

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重要文化財(国指定)[6]
横浜市指定有形文化財[6]
  • 木造神像 7躯:1988年昭和63年)指定。
  • 木造守門神坐像 阿形・吽形像:2001年(平成13年)指定。

境内社

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交通

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最寄駅は京浜急行電鉄横浜シーサイドラインの「金沢八景駅」で、瀬戸神社までの所要時間はともに徒歩5分程となっている。

脚注

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  1. ^ 新編鎌倉志 1915, p. 141.
  2. ^ a b 『瀬戸神社略縁起』(瀬戸神社境内配布パンフレット)より
  3. ^ 横浜市埋蔵文化財センター 2013年『瀬戸神社旧境内地内遺跡発掘調査報告(金沢八景駅東口地区土地区画整理事業に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書)』 (PDF)
  4. ^ 盛本昌広「瀬戸神社に来た足利持氏」(初出:『六浦文化研究』第7号(1997年)/所収:植田真平 編『シリーズ・中世関東武士の研究 第20巻 足利持氏』(戒光祥出版 2016年)ISBN 978-4-86403-198-1
  5. ^ 瀬戸神社由緒
  6. ^ a b c 指定・登録文化財目録”. 横浜市教育委員会. 2020年5月25日閲覧。
  7. ^ 横浜金沢ガイドMAP”. 一般社団法人横浜金沢観光協会. 2022年12月16日閲覧。

参考文献

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  • 河井恒久 等 編「巻之八 瀬戸明神」『新編鎌倉志』 第5冊、大日本地誌大系刊行会〈大日本地誌大系〉、1915年、141-142頁。NDLJP:952770/85 

関連文献

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  • 斎藤長秋 編「巻之二 天璇之部 瀬戸明神社」『江戸名所図会』 一、有朋堂書店、1927年、647-649頁。NDLJP:1174130/329 
  • 斎藤長秋 編「巻之二 天璇之部 瀬戸弁財天」『江戸名所図会』 一、有朋堂書店、1927年、652,653,656頁。NDLJP:1174130/332 

関連項目

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外部リンク

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