澤村訥子 (7代目)

日本の歌舞伎役者

七代目 澤村 訥子(しちだいめ さわむら とっし、安政7年4月8日1860年5月28日) - 大正15年(1926年3月26日)は、明治から大正にかけて活躍した歌舞伎役者。屋号は紀伊國屋定紋丸にいの字俳名に訥子がある。本名は伊藤 千之助(いとう せんのすけ)。

尾張藩家老家臣の子として名古屋に生まれる。幼少の頃から役者を志し、明治7年(1874年)に大垣で市川千之助を名乗って初舞台を踏む。明治11年(1878年)中村千之助と改名し上京。その後四代目助高屋高助が芸を見込んで養子に迎え入れ、明治15年(1882年)9月に七代目澤村訥子襲名する。養父の死後、幼い弟や義母の面倒を見なければならない事もあり浅草の吾妻座に出演した事が原因となり大劇場に出られなくなり専ら小芝居に甘んじたが勇ましい役どころや激しい大立廻りを得意とし「猛優訥子」の異名をとり大衆の人気を勝ち得た。

明治時代後半には同じ浅草の宮戸座で活躍し同門の四代目澤村源之助と共に人気を集め小芝居の全盛期を担った。 その後息子の宗之助と長十郎が帝国劇場と契約した事もありゲストとして帝国劇場に出演したり、明治座や本郷座といった大歌舞伎の劇場にも時折姿を見せていた。

大正13年には宗之助の急逝もあり残された幼い孫の面倒を見つつ舞台で活躍していたが大正15年3月26日に死去。

長男に早世した初代助高屋小傳次、次男に帝国劇場などで活躍した初代澤村宗之助、三男に七代目澤村長十郎また甥で養子とした二代目助高屋小傳次がいる。長男門下の澤村傳次郎が娘婿になり後に八代目澤村訥子を襲名して芸風を受け継いだ。

孫はのち映画に進出した二代目澤村宗之助伊藤雄之助澤村昌之助