潮恒太郎
日本の司法官
潮 恒太郎(うしお つねたろう、1866年1月16日(慶応元年11月30日[1]) - 1919年(大正8年)6月21日)は、明治から大正期の日本の司法官。
人物
編集慶応元年11月30日、島根県において、潮房太郎の長男として生まれる[2]。
明治18年(1885年)7月、松江始審裁判所浜田支庁に雇[注 1]として奉職[3]。当時の浜田支庁には、若き日の島村抱月(当時の姓名は佐々山瀧太郎)も給仕として奉職していた[注 2][3]。
恒太郎はその後、苦学して判事登用試験に合格し、明治20年(1887年)、判事に任官[4]。東京地方裁判所、東京控訴院に在勤[5]。東京地裁の上席判事を10年務め[5]、予審判事として、シーメンス事件や[6]、幸徳秋水らの大逆事件(幸徳事件)[7]といった著名な事件を担当した。
大正8年(1919年)6月20日、大審院検事に任じられたが、翌21日死去した[5]。享年55。「予審判事中の第一人者」と評されたという[5]。
親族
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 『日本近現代人物履歴事典』82頁。
- ^ 『現代人名辞典』ウ21頁、『大日本人名辞書 上巻』351頁
- ^ a b 『抱月島村滝太郎論』482頁
- ^ 『抱月島村滝太郎論』482頁、『大日本人名辞書 上巻』351頁
- ^ a b c d 『大日本人名辞書 上巻』351頁
- ^ 東京日日新聞大正3年4月26日「予審決定書 シーメンスシュッケルト電気会社の贈賄事件(海軍収賄)(シーメンス事件) 其一」 - 神戸大学図書館 新聞記事文庫
- ^ 石川啄木『日本無政府主義者陰謀事件經過及び附帶現象』 - 青空文庫
参考文献
編集- 古林亀治郎編『現代人名辞典』中央通信社、1912年。
- 佐渡谷重信『抱月島村滝太郎論』明治書院、1980年。
- 大日本人名辞書刊行会編『大日本人名辞書 上巻』大日本人名辞書刊行会、1926年。
- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
関連文献
編集- 小林俊三『私の会った明治の名法曹物語』日本評論社、1973年。