滝川一乗
滝川 一乗(たきがわ かずのり / いちのり)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、旗本。滝川一時の長男。妻は戸田尊次の娘。子に滝川一俊、滝川一守、滝川一仲、滝川一成。
時代 | 安土桃山時代、江戸時代 |
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生誕 | 慶長7年(1602年) |
死没 | 寛文5年1月14日(1665年2月28日) |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 滝川一積→徳川秀忠→家光 |
氏族 | 滝川氏 |
父母 | 父:滝川一時 |
妻 | 正室:戸田尊次の娘 |
子 | 一俊、一守、一仲、一成 |
生涯
編集慶長7年(1602年)、伊勢亀山1万4,000石の大名[要出典]・滝川一時の長男として誕生。
父・一時は、徳川秀忠にも仕えていたが、慶長8年(1603年)に病死すると、一乗が幼少であったため江戸幕府により、豊臣家から与えられた1万2,000石は没収され[要出典]、徳川家から拝領した2,000石は叔父の一積が一乗が15歳になるまでの名代として引継ぎ、一乗にはうち250石が分与された。
ところが、一積は一乗が15歳になっても家督を返そうとしなかったため、元和2年(1616年)に青山忠俊に訴え出る。それを聞いた秀忠は、一乗が言うことも理ではあるが、まだ20歳未満であるため、番士の列に加えられるまでは一積が名代を務めるべきとし、とりあえず一乗は750石を加えられて持ち高は1,000石となった。その後、元和7年(1621年)に西の丸書院番士に列すると、父の遺領のことを再び申し出たものの、はぐらかされ延び延びとなり、結局果たされることはなかった。寛永10年(1633年)に200石を加えられて1,200石となる。寛永18年(1641年)に小姓組番士となる。
寛永5年(1665年)、死去。法名は紹祐。
参考文献
編集- 『寛政重修諸家譜』第11巻