滋賀県道102号大津湖岸線
滋賀県の道路
滋賀県道102号大津湖岸線(しがけんどう102ごう おおつこがんせん)は、滋賀県大津市を通る一般県道である。
一般県道 | |
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滋賀県道102号 大津湖岸線 一般県道 大津湖岸線 | |
総延長 | 5.953 km |
制定年 | 1958年(昭和33年) |
起点 | 大津市浜大津1丁目【北緯35度0分43.5秒 東経135度51分49.9秒 / 北緯35.012083度 東経135.863861度】 |
終点 | 大津市松原町【北緯34度58分42.6秒 東経135度54分16.9秒 / 北緯34.978500度 東経135.904694度】 |
接続する 主な道路 (記法) |
滋賀県道18号大津草津線 滋賀県道558号高島大津線 国道422号 |
■テンプレート(■ノート ■使い方) ■PJ道路 |
概要
編集大津市浜大津1丁目から大津市松原町に至る。
大津市浜大津から琵琶湖の湖岸に作られた埋め立て地を経て松原町に至る[1]。途中の膳所で近江大橋と連絡する[1]。
路線データ
編集- 起点:大津市浜大津1丁目(大津港口交差点、滋賀県道18号大津草津線起点、滋賀県道558号高島大津線交点)
- 終点:大津市松原町(松原国道口交差点、国道422号交点)
- 総延長:5.953 km[1]
歴史
編集大津市内の湖岸道路の構想は1932年(昭和7年)の大津市都市計画街路の中に含まれていた[2]。そして、1950年(昭和25年)1月、当時の大津市長である佐治誠吉が発表した大津市の都市計画構想の中で湖岸を埋め立てて観光道路を建設する案が示された[2]。
1936年(昭和11年)から1940年(昭和15年)には東洋レーヨン滋賀工場から出た石炭ガラによって御殿浜から松原町を経て瀬田唐橋の間の1,300 mで埋め立てが行われており、この部分には道路の原型ができていた[2]。その後、1949年(昭和24年)から1951年(昭和26年)にかけて紺屋関(現在の島の関西交差点付近)から浜大津(大津港)の800 mの区間に既設の京阪石山坂本線の軌道と平行するかたちで石油ガラを埋め立て、湖岸道路が設置された[2]。その後、昭和30年代に入り高度経済成長期で大津市内で広大な土地の需要が生じると、琵琶湖の大規模な埋め立てが行われ、この埋め立て事業を先行するかたちで湖岸道路が建設された[3]。1958年(昭和33年)には浜大津から膳所の間で完成していた[3]。そして、1966年(昭和41年)に膳所から御殿浜までの820 mの工事の完成をもって浜大津から松原町の区間が湖岸道路として結ばれた[3]。
近江大橋の完成を前に、1973年(昭和48年)5月には湖岸道路が大津市から滋賀県へ移管され[3]、当該路線となっている。
年表
編集路線状況
編集重複区間
編集- 滋賀県道18号大津草津線(大津市浜大津1丁目・大津港口交差点(起点) - 大津市丸の内町・近江大橋西詰交差点)
地理
編集通過する自治体
編集交差する道路
編集交差する道路 | 交差する場所 | |
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滋賀県道18号大津草津線 重複区間起点 滋賀県道558号高島大津線 / 西近江路 |
浜大津1丁目 | 大津港口交差点 / 起点 |
滋賀県道18号大津草津線 重複区間終点 | 丸の内町 | 近江大橋西詰交差点 |
国道422号 | 松原町 | 松原国道口交差点 / 終点 |
交差する鉄道
編集沿線
編集脚注
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 25滋賀県』角川書店、1979年5月4日。
- 『新修大津市史 6現代』大津市役所、1983年8月7日。