滅翁文礼(めっとう もれい)は、宋代に活動した臨済宗松源派禅僧である。号を天目と称した。松源下2世。

滅翁文礼
乾道3年 - 淳祐10年10月10日
1167年 - 1250年11月5日
生地 杭州臨安県
宗派 臨済宗松源派
松源崇嶽
弟子 横川如珙、石林行鞏
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生涯

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乾道3年(1167年)、杭州臨安県で出生する。俗姓は阮氏。淳熙9年(1182年)、郷里の真相寺で智月和尚の許で修業し、阿育王山拙庵徳光に就いた後に薦福寺の松源崇嶽より印可を得た。

淳祐2年(1242年)6月、饒州薦福寺の住持となった後、南康軍廬山の開先華蔵禅寺の席を薫するが、再び薦福寺へ戻った。大悟の後は京城広寿寺、温州雁蕩山能仁寺、臨安府南屏山浄慈寺を経て明州天童山に歴住した。

淳祐10年10月10日1250年11月5日)示寂。法嗣は横川如珙ならびに石林行鞏の2名を数える。

脚注

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参考文献

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  • 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.1106 1985年
先代
松源崇嶽
臨済宗松源派
1209 - 1250
次代
横川如珙
石林行鞏