源顕清
源 顕清(みなもと の あききよ)は、平安時代後期の武士。筑前守・源仲宗の次男。兄弟に惟清、仲清、光清らがあり、子に宗清(村上蔵人)、定国、業国、盛国[1]、養子に為国がある。白河院蔵人。村上顕清とも記される。
時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 村上顕清 |
主君 | 白河院 |
氏族 | 河内源氏頼清流 |
父母 | 父:源仲宗 |
兄弟 | 惟清、顕清、仲清、光清ら |
子 |
宗清、定国、業国、盛国 養子:為国 |
略歴
編集兄弟らと共に白河院蔵人を務め院昇殿者となっていたが、嘉保元年(1094年)8月に兄・惟清が院を呪詛したとしてこれに連座し失脚、越前国への配流が言い渡された(『中右記』同年8月17日条)。なお『尊卑分脈』では配流先を信濃国とし、甥盛清[2]の子・為国を養子として信濃村上氏の嫡流を継承させたとあるが、同系図には混乱がみられ詳細は不明。